Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

千姿万態。

2017/04/03 0:00

コンビニのレジで、商品を袋に入れるとき、なかなか緊張するようだ。
レジ係のバイト君たちの、その入れ方は千差万別である。

先日、「冷たい商品と、温かい商品を別にしましょうか?」と訊いてきたスタッフがいた。この人は、けしてトンチンカンなのではない。常温をこよなく愛する人か、お腹が弱い人だ。

雑誌を買ったときに、冷たいペットボトルと一緒にされても、けしてトンチンカンではない。そのスタッフは読書をしない人か、下敷きあるいは間仕切りと見間違えたのだろう。

納豆や卵焼きを買っても、箸を入れてくれないときは、そのスタッフは普段から手で食べる人だと思えばいい。
プリンを買っても、スプーンを入れてくれないときは、プリンは飲み物と断定しているか、家でプッチンプリンをしなさいという啓示なのかもしれない。

逆に多く入っている場合もそうだが、饅頭にスプーンが入っていたり、サンドイッチに箸が入っていたり、パン屋みたいに、一つひとつの商品を包まれたら、それはそれで、人は怒るだろう。それは自分のことを気にかけてくれていないと分かるからだ。

このバイト君たちが、唯一自慢できることいったら、まさに商品をレジ袋に入れるときではないだろうか。その商品にはどのカトラリーを附属すればいいかなんて、承知の沙汰で熟練している。にもかかわらず、箸やスプーン、ストローが入っていないのならば、お客さま側が相手の仕事ぶりをちゃんと見届けて上げていないからだ。
視線でずっと気にかけてあげれば、スタッフは思わず、「お箸、何本お付けしましょうか」と聞くフリして、表情を必ず確かめてくる。

外を眺めたり、別の商品を探しに行ったり、早くしてくれよオーラを出したり、余計な動作はしないほうが賢明である。うしろをキョロキョロ振り返れば、余計な商品を買わされるのだ。

これは仕事の商談にも当てはまるだろう。
ある業界で、そこそこ名の通った営業マンを知っているが、その人は、けして販売が得意なほうではない。むしろ流通に無知なほうである。なのに、なぜか次々に件数をこなしていくのだ。一度会って話す機会があったから、掘り下げてみた。

その人は自分が話し終わった後、つまり攻撃した後の後攻においては、徹底して守備に回る。ノートパソコンを出したかと思ったらそれはシステム手帳で、相手の会話をそれに時折メモしているのだ。

雑談するなかで気付いたのは、相手の話を一切さえぎらず、見守ることだった。
それは、買った商品問わずに、おしぼりが入っているような優しさではなかろうか。
面談だって、時間という命の断片をちょうだいするのだから、「いただきます」「ごちそうさま」がある。最初から最後までを重んじているから、相手もまた会いたくなるのだろう。

それは「千」から「万」。相手に属する固有の数字、本数を知る術なのかもしれない。

 

P.S.
沈黙という会話のすき間に「気持ち」が入る。

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天然果実。

2017/04/02 0:00

九州別府には、「地獄めぐり」という観光名所がある。

血の池地獄、かまど地獄、海地獄、白池地獄、龍巻地獄、あり地獄、借金地獄、法律事務所アディーレ。
今はとくに春休みと重なって、観光客でごった返しているが、天然のつく『坊主地獄』というところだけは、ガラガラである。観光バスはおろか、駐車場には一台も車が停まっておらず、不思議と誰もいない。
しかも、お土産といった売店らしい売店もないから、異様な雰囲気を醸し出している。
興味本位で窓口のおばちゃんに事情を訊いてみた。

そこは、他の地獄と独立しているから、「めぐり」のツアーに組み込まれていないらしく、入場料もその都度支払う必要があり、それを知った観光客のほとんどが別を地獄にそそくさと流れるという。
確かに、ツアーを一度体験して思うのだが、17時までに離れた主要七か所の地獄を次々にこなす必要があり、観ることよりも回りきることを優先して、変なシステムだなとは、前々から思っていた。国の名勝指定がなされたこともあって、人気を博す一方、この坊主地獄は、ツアー加盟に固辞している姿勢である。

坊主地獄のウリは、なんといっても、湧き出る灰泥が沸騰する様子だろう。
映画『千と千尋の神隠し』の川の神を彷彿して、確かに見所ではあるが、実はそれよりも、もっと感慨深い跡が残っているのだ。

その跡は、やや深く沈んだ窪みで、そこの前で立ち止まると、吸い込まれるような感覚に襲われるのだ。最近、吸い込まれてばっかりだが、以前、ブログに「クソ坊主」と表現したことで、自責に念を駆られたかもしれない。とにかく、そこは深く寂しい場所だった。

これについて宣伝不足なのではないかと思ったくらいで、主観ではあるが、さっきの主要七か所が束になっても、この坊主地獄には敵わないじゃないか、と自分では思っている。横綱と小結くらいに違うと感じた。
他が外国人観光客でごった返しているのに対し、そこは歴史の断片をひっそりと感じることができるから、ある意味の穴場で一日中いてもいいくらいだ。

それはまるで、天才ほど陰に潜んでいることを示唆しているようだった。
自分がメリットと思っているところは、実は他人からすると、さほどメリットでもなく、シャンプーでもないときがあって、本当のメリットとされるのは、窪んだ跡のように、静かで、深く、淡々とした場所に潜んでいる。それが本物の天然の部分だろう。

そもそもが、この世は嫉妬めぐりの中を生きているといっていい。
あれだけ人気の俳優女優だと博されていた人が、今では大嫌いランキングに一転する恐ろしいご時世だ。天国と地獄、どちらも可もなく不可でもない。目立たず、ひっそりとしているほうが一番幸せなのかもしれない。

 

P.S.
そして、周囲は地獄耳地獄。

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知的な檻。

2017/04/01 0:00

公園に行けば、犬に吠えられ、猫と目が合えばあくびをされる。
自分は、そこまで動物が好きではないから、動物も自分のことが好きではないのだろう。お互いさまである。

それなのに、三カ月一度のペースで、アフリカンサファリパークに行くようになった。現地まで、結構な道のりだが、行くだけの価値は充分にある。

壮観な野生ゾーンにマイカーのまま乗り入れる方法、もしくはジャングルバスに乗り換えるのかを選択できる。護送車のようなバスに乗って、中からエサを与えるお馴染みのあれだ。
動物園では、動物たちが檻に入っているけど、ここは人間が檻に入って移動する。

そして、何が面白いかと言えば、運転手さんによる生のナレーションだ。
むしろ動物を見るより、楽しいくらいである。

それは、ある程度マニュアル通りだろうけど、リズミカルな言葉のなかに、今のはアドリブだなとか、昨夜考えた渾身のセリフかもとか、聞くたび「へェー」なんて思わず声が漏れてしまう。その人の話を聞いていると、動物が好きなんだなぁと分かるし、一方では、全然やる気のない平板なスタッフもいて、動物たちにもそれが伝わるから、ハズレの運転手さんが停まっても、動物たちが群れでは近寄ってこないし、ライオンは体当たりで攻撃してくる。動物からすると、敵が一頭でもいれば、全員敵でありエサなのだ。まさにそのときは、エサがエサを与えている姿だろう。

 

「象は、かなり賢くて、一度見た人間の顔を一生忘れません」
「サイの視力は30センチ先しか見えてないことはよく知られていますが、耳は1キロ先までよく聞こえています」
動物もすごいが、人間だって、すごい洞察力を天から授かっているといっていい。
ウソはもちろん、虚勢を張ったり、いくら熱弁をふるっても、他人のことだったら、「今のはウケウリだな」なんて、地球の裏側までお見通しだ。その代わり、距離0の自分のことになると、まったく見抜けないでいる。

翻ると、他人から見た自分がすべてであり、それは透明の檻に入れられているイメージだろう。
檻の中での、普段の振る舞いを鑑みて、そこから出してあげるかどうかを判断されているといっていい。つまり相手を認めないと、自分も出してはもらえないという意味だ。

ハイエナに関していえば、実は、どの動物よりも狩りを率先する努力家で、体のデカいライオンたちが近寄れば逃げるしかない。去った後のその残滓を食べる姿から、そう間違った印象が付いてしまったのだ。
けど人間は、誤解や軽信をいくらされても構わないのだ。

一番怖いのは、研鑽を怠ったばっかりに、柵越しに何を話しても、相手にされずあくびされるときだろう。
だとすると、レベルを上げないといけない。たくさん勉強しないといけない。肝要なのは、知的のリズムである。

ちなみに、ハイエナの情報もウケウリだけど。

 

P.S.
人間同士、みんなが生徒役であり、先生役。

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チャンス日和。

2017/03/31 0:00

陽気な春の空が、ぽかぽかと一年ぶりに広がっている。
さすがにこんな日は、バスタオルをベランダに干さないわけにはいかない。事務所移転や結婚式のあいさつ状は何年ぶりだろうと無視できるが、春陽のあいさつは無視できないものだ。動植物がこの時期、長い冬眠から目を覚めてしまうのも無理はない。

自然の力を潤沢に浴びたそのバスタオルをそっと顔に当てると、スッーと吸い込まれるような不思議な感覚だ。
でも、これと似たシチュエーションをどこかでも感じたことがあるように思えた。

本屋である。
あのインク刷りたてのような香り。
それは、天日干した洗濯物をさらにピシャッとアイロン掛けして整然と並んでいるような。一冊の本を手に取り、極薄ミルフィーユの束が自らの力で開かれるとき、香りが薫りとなって、自分の顔を物理的に誘惑してくる。

さて先日、付き添いで図書館に行くことがあった。
久しく図書館に来ていなかったが、館内を目の当たりにして、びっくりしたものだ。こんなにまで貧相だったのかと改めて痛感してしまったのだ。

それは、一週間以上履き続け、脱衣所で脱ぎ散らかしたら、犬が玄関までくわえて運んだ靴下のようだった。
図書館で働いている人には申し訳ないが、そこはとても神秘の空間には程遠い。
本に触れようという気にさえなれないものだ。

ただ、図書館がイケないということではない。めちゃくちゃイケないと言っているのだ。
もはや、小学生の見学会とか、文献探しくらいにしか、資することがないのではないかとまで思ってしまう。

本屋さんとどこが違うのだろうか。
著者の知恵をタダで読みまわすことがズルいといったことよりも、図書館だとどれだけ長居しても、もよおさないからだろう。つまり、チャンスの有無だ。

本屋だと襲われるその感覚は、何かのメッセージであり、
「トイレに行く次いでに、今手に持っている本を買って、さっさと帰りなさい」という意味だと自分は思っている。もし、何も持っていない場合は、気付かずに通り過ぎたのだから「また来なさい」だ。

つまりチャンスは何気ない一瞬のみということではないだろうか。
著者が誰であるとか関係なく、もうそこは雰囲気とか、直感の類になる。

先日、猛烈にそれを感じた本があった。買って家に置くと、二、三日も経てば家の匂いに馴染んでしまう。しかもそれが、自分が絶対に読むことのない小説だったのが残念で仕方がない。
恐る恐る読んでいくにつれ、不思議な感覚に襲われたのだ。
天日干しされたバスタオルのように。そして吸い込まれるように。

タイトルは、『騎士団長殺し』だった。著者に名前に「春」がついていた。

 

P.S.
新品の薫りは、次に読了した本人から放たれる。

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甘いレモン。

2017/03/30 0:00

唐揚げには、レモンが添えられている。
緑のパセリと、くし型の黄色が目の味覚をほどよく調和させる。

自分はレモンをかけない派だが、一応、備えられているときは、たまに絞ってみたりする。すると、ふと昔の記憶が蘇ってくるのだ。

サラリーマンの新人時代に、同じテーブルにいる班の先輩から、唐揚げにレモンをかけてと言われ絞ってみれば、「ウッ!」と言って片目を手で押さえる上司がいた。でも演技である。

最初は、レモン汁が目に入ったかと思い、「あっ、すみません」なんて、自分ひとりだけがそれにひっかかり、周囲は笑いの渦だった。その上司が決まってこれをやることを課内で周知されていたのだ。

別の日、似たようなシチュエーションで、新人がレモンを絞った際に、「うっ!」と自分もやってみたところ、その場の空気が一瞬で凍り付いたのが分かった。先の上司が、引き攣り笑いを浮かべながら、遠い目をしていたのだ。それ以来、その上司と目が合うことはなかった。
今でも唐揚げのレモンを見るたび、そのときの苦い過去を思い出すのだ。

会社組織においては、多くの「暗黙の了解」が存在する。
業務上はもちろん、大宴会や忘年会、餅つき大会など、家族も参加できる無礼講の席では、上司の奥さまよりも美人妻をもつ妻帯者は気を付けなければいけない。新人は、これをやらかすのだ。新婚だと、張り切って愛妻を連れてきたくなるが、そこはグッと堪えて一人で行くか、奥さまを男装させるかだ。

草野球行事でいえば、上司がたとえド素人でも四番バッターだった。
塁に出て、いくらトンチンカンにリードが大きくても刺してはいけない。
上司が盗塁して、アウトのタイミングだったら、ショートの部下は、捕球を誤るか、気を失うかだ。

ゴルフでは、上司がOB方向を打っても、「ファー!」なんて叫んではいけない。「フックで戻ってこい!」と檄を飛ばさなくてはいけないのだ。間違えて、「ファ、ファ、ファックカモン!」と叫んだこともある。そして、次番の部下は、もっととんでもない方向に打たなくてはいけない。ティーマーカーに打球を当てて真後ろに飛ばす豪傑もいたくらいだ。ちなみに、その部下は、中堅の支店長に栄転した。

このように多くの不文律が存在したのだ。
それはレモンの汁のように、もの凄く酸っぱいし、いつどこに飛び火するか分からない。
その点、法律とか正しさや平等を説くほうが至って簡単だ。でもそれはどこか甘いフリをした酸っぱい葡萄のような話である。

実際にかじったことがある人だけに見えてくる、感情や格差の大切な風景があるのだ。けしてゴマ擦りとか、卑屈の態度ではない。無言の寄進である。
これは独立後に必ず活きるといっていい。

そういう意味では、ギトギト油で揚げた唐揚げ料理に、レモンは和らげる効果として寄与しているのだろう。
とくに、組織内の揚げ足には。

 

P.S.
上司の発言には、すべて首肯(しゅこう)。じゃないと、子会社に出向。

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ハッピーホテルのダブルブッキング。

2017/03/29 0:00

ホテルのチェックイン開始時刻は、大体どこも14時か15時くらいだと思う。
事前に予約し、その時刻10分前には到着する。フロントで所定の手続きを経て、颯爽と部屋に流れ込むといった感じだ。

しかし、今日は違った。
とあるホテルに着くと、「あと10分あるので、少々お待ちください」と対応されたのだ。初めてのことで耳を疑った。「あと10分、そばにいていい?」の間違いではないかと聞き返しそうになったが、仮にそうであっても、時間のムダである。

ネットで予約するときは、到着予定時刻を入れるようになっていて、「遅れる場合は、お電話をください」とある。ということは、その時刻とは、つまり待ち合わせの時刻であって、遅れないよう10分前に到着することは、信義則の範疇なのだ、と思う。

まだ若い女性スタッフだったから、お金をちょうだいする相手がいかに偉大な存在であるのか、まだ不知でいる。そこそこ名の通ったホテルだから、ひと言本音を伝えようと思い、一応、頭の中で予行演習をしてみた。

(パターン1)
「10分前くらい問題ないでしょ。それともなんですか、まだ掃除が終わってないんですか」
「申し訳ございません。当ホテルは14時からです。決められたことですので」

(パターン2)
「そちらは、約款にもあるように、宿泊費とは別途サービス料10%がかかりますよね。だったら、10分前の『10』とハッピーアイスクリームじゃないですか。それにどうせ別途なら、ウチにある要らないベットを持って行ってください!」
「お身体の具合がすぐれないようでしたら、お薬をお持ちいたしましょうか?」

(パターン3)
「限界です。も、もう漏れそうです。しかも大、は、は、早く部屋のキーを!」
「えっ、あっ、ト、トイレはロビーの奥でございます!」

と、いずれも失敗に終わりそうだ。
語気を強めて揉め続けると、逆にこっちが品位に欠けたお客さまになってしまう。
いずれにせよ、当の本人をいくら諭しても、まったく意味がない。それは、赤ちゃんに、因数分解を教えるようなものだ。

力を込めて「なるほど!」の笑みを浮かべてみるようにした。
すると相手のことが本物の赤ちゃんに見えてくる。
さっきこみ上げた怒りがきれい浄化してハッピーになるイメージだ。なんという紳士たる振る舞いだろうか。

理不尽をすべて我慢しようという意味ではない。理不尽と思えば、すべてが理不尽になるのだ。つくづく頭の中は、宇宙からの借り物だと思う。いつでも好きな感情の小部屋にチェックインできるのだ。
思考と表情のハッピーアイスである。

そうすれば、眺めのいい客室が待ち受けていたり、美しい女性客と同じフロアですれ違ったり、ちょっとしたいい事があったりするものだ。

今宵も、冷蔵庫のもので、一献振る舞いたい。

 

P.S.
部屋に入って10分後、ふとフロントに電話した。
「だいたいあなたがたは、アーリーチェックインを知っているんですか!!」

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飽くなきワンパターン。

2017/03/28 0:00

「え、ウソ!」
連れが、びっくりするような声で、新聞の四コマ漫画が連載終了になると嘆いていた。この漫画からどれだけの勇気をもらったか分からない、と涙で湿ったような声で訴える。
ふだんは、「今日のは、くだらん」とか、「いつも、ワンパターンやね」なんて、コテンパンに批評していたのに、いざ終了となると急に残念がるのが不可解だ。

ラジオにしてもそうである。
一年間、何気なく聴いていた番組のパーソナリティが、唐突に「今日でお別れです」なんて電波の向こうから聞こえようものなら、「え、ウソ!」なんて一転する。ファンの中には嗚咽する人までいるかもしれない。

しかし、予告されるだけまだマシというものだ。
不幸が、突然に訪れた場合はどうだろ。
朝、あれだけ元気な顔で「行ってきまーす」と出かけた子どもが、予期せぬ不幸に見舞われる。親は途方に暮れ、もし事前に察知できたなら、出かけるのをどうにか静止できたのにと、次第に己を恨み、せめてパンツの予備を持たせてあげていたらと後悔する。そうすれば、さっき子どもから「もらしちゃった~」と電話が入っても、「え、ウソ!」なんて動揺することはなかったはずだ。

何かの本で、ホメオスタシスという言葉を見たことがあるが、自分の中で定着していた恒常的な流れに、ふと変化の圧力が加わると、人は動転するという。

とはいえ、自分の流れが一定で、それを取り巻く環境の変化まで乏しければ、これはこれでいずれ飽きるのだ。住む場所や、仕事、趣味など自分の生き方について、人は飽和を嫌い、常に刺激を求めている生き物といえる。

たとえば、博打で、今日負けると明らかに予見できても、「いーや、自分の運はちょっと人並外れている」と言って挑戦し、かなりの高確率で大金を失う結果になるだろう。
親から進路を反対されている高校生が、「いーや、自分で決めた大学に行く!」と言って聞かずに決意を固めても、かなりの高確率でとんでもない会社に就職するだろう。
でも、結果はどうであれ、納得はするはずだ。

新しいものに触れ、新しい世界を渇望し、自分の選んだ誤りが一番楽しいのだ。つまり、純粋に自転していたいからだ。
自分の中で常に変化していれば、いちいち外部のひょんな圧力に憂えなくていい。

先のラジオで、パーソナリティが最後にこう言った。
「次回から新番組は〇〇。そのパーソナリティは、私でーす!」

 

P.S.
同じ「え、ウソ!」でも、喜怒哀楽の四パターン。
でも、自転していれば、「楽」のワンパターン。

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一年生植物。

2017/03/27 0:00

言葉が深く身にしみるときがある。
クラス児童の一年間の思い出作文を冊子にし、表紙に担任の先生が短文を綴っているのだ。
そこには、進級のお祝いを兼ねていながら、まるで今回が卒業式であったかのような、どこかお別れのあいさつに近い言葉だった。

よく考えてみれば、小中学生は留年することがない。そういった意味では、毎年が学級ごとの卒業でもあるし、先生だって、担任最後になるのかもしれないのだ。

先生の文章は、実にシンプルだった。
『はじめてであれば、つまずいて苦しいこともあるけど、きちっと受けとめて、勇気をだして動きだせば、やってよかった思えるときがきっと来る。
〇年〇組担任:華吉 結実子(仮名)』

低学年に向けて書いた内容だった。
パッと見ただけで、子どもたちが気付くかどうか、先生自身の名前の読みや意味を、そっと散りばめていることが分かる。
優しくすりおろした果実のようなその文章から、ほのかに薫る先生の甘酸っぱい筆力を目で感じ取ることができた。

自分がまかり間違って先生になったら、こうなるだろう。
『平凡な毎日。以下同文。
3年B組担任:平々(ヒラオドリ)』

文章は、今の感興をもろに露呈するものだ。
やって良かったと達観することは確かにあって、それは希望でもあり、一種の力強さでもあるけど、一方で、同じくらいの脆弱さが口を開けて待っているときがある。

トボトボ歩いていても、全くダイエットに効果がないように、気怠そうに山を登っても、痩せるというより、やつれるだけだろうし、反対に、同じところをハムスターのように走り、30分程度の軽い汗を流しているジム通いの人たちのほうが自然で滑らかなくびれを描いているものだ。

ただ裏を返せば、たった一つの支えがあれば、人間はどんな苦しみにも耐えうることができるということではないだろうか。

アウシュビッツのユダヤ人たちは、毎日の朝陽を拝むことで、どうにか生きながらえた。眩い陽光だけが唯一の楽しみだったのだ。
そして、クリスマスの日には解放されるという、仲間うちで勝手な幻想を抱いたばっかりに、その日を超えたとたん、バタバタと多くの人が亡くなった。人は体力よりも、精神力だけで生きていると言っていい。

ある人も、「人は必死になった時点で、必ず死が訪れる」と言ったくらである。
そうすると、何かに精一杯になるときは、いつか力尽きるのだから、わずかな矛盾という改良を織り交ぜたほうがいい。

作文集を読むために今、とあるホテルにきているが、冷蔵庫に入れたサンドイッチだけ唯一の楽しみだ。
そして、必死に生きないよう必死にこの文章を書いている。
そんな、どこか矛盾するお話だ。

 

P.S.
「力を抜くと筆が躍る。平々」

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間接技。

2017/03/26 0:00

後ろ髪を引かれる思いだ。
さっきチェックアウトしたホテルに、無性に戻りたくなった。よっぽど相性がよかったのだろうか。よく考えてみると、マイスリッパを部屋に忘れていることに気が付いた。

ホテルによっては、使い回しのスリッパが単に「消毒」の帯が装束されているだけのところがあって、マイスリッパを車に常備するようにしている。しかし、これをよく忘れるのだ。

フロントで預かってもらうときもあれば、鍵をもらって部屋に戻るときもある。
そのとき、自分が一晩泊まった部屋を顧みると、本当に自分を露呈しているなぁと思う。

テレビのターンテーブルが端の方にぞんざいに追いやられたままだ。
これを見た掃除のおばちゃんは、テレビを観ない人が泊ったんだわ、なんてちゃんと分かるのだろう。
ベッドのメイクでも、掛け布団が壁に挟まったままだったから、引っ張るのが面倒くさかったのか、非力なのかのどちらかだろうなんて思われ、カーテンの右側だけ閉まっているから、この位置で朝、着替えて出かけたんだわとか、うん?スリッパを履いていないようだから、ポニョみたいな人が泊ったのか、いや、ポットのコードの結び方がへたくそだからきっと男性だな、など人間模様がありありと伝播されているのだろう。それはまるで映画『96時間』のように。

そして、テーブルの上に目をやると、まだ100円玉が置いたままだ。
自分は、ホテルを出るときには、「ルームメイク100円満点!」と書いたメモと100円玉を残して去っている。これを見たとき、そうじのおばちゃんがどう思うかなんて考えたことがなかったが、いざ自分でも見てみると、我ながら失礼な所作だなぁなんて思ってしまう。
また100円というところがケチ臭い。自分がおばちゃんだったら、「1万円くらい置いていきなさいよ!」なんて思うかもしれないのだ。

周囲の親しい者に、これついて訊いてみた。
Aさん:「二重丸の200円は?100円じゃ今どき何も買えないしね」
Bさん:「いいんじゃない。それよりさぁ、今日何食べる?」
Cさん:「スロットのコインは?」
Dさん:「私にちょうだい」
ハムスター:「カラッカラッカラッ」

いろんな意見があるなか、ある人がこう切り出した。
「それなら何もしないほうがいいんじゃない。直射過ぎるよね。」
「直射?」
「うん。ホテルがなぜ快適か。それは、ホテルの客室には、家の天井みたいに照明がないよね。壁から点々と小さい明かりがあるだけ。なのに、夜になっても寂しくもなく、むしろホッとする。つまり『ともし火』だね。上からよりも同じ目線である明かり、命の灯だよ
「なるほど。目が行くところほど、さりげなさが必要だってことか」
「うん、気持ちよく部屋を引き払えば、それだけで充分。そのほうが、尾を引かないしね」
「高潔なアメニティだな~」
「気づいただけでもいいじゃないの。で、この授業料は1万円でいいわよ」

 

P.S.
スコアメイクも、ソフトな角度のPSサンド。

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四月になれば。

2017/03/25 0:00

「もう三月も終わるね。一月は行く。二月は逃げる。三月は去る」
「うんうん。で、四月は、なんて言うんだろ?」

「んー、し、し、出発?あと、心機一転も合うね」
「ん~思うに、四月が四十肩。五月が五十肩。六月が六十型テレビだ」
「なんで最後だけテレビなのよ」
「じゃあ、テレビ?」
「?って語尾を上げただけじゃないの」

「君こそ、さっき『出発?』って語尾を上げたじゃないか」
「ま、そうだけど・・」
「だいたい、女性はみんな妙なところで疑問符を付けるよね。相手の出方を窺っているのか知らないけど、この前も、『今日は、春の寒波に見舞われるらしいよ。場所によっては、雪?が降るみたい』なんて言ってたじゃないか。なんで『雪』と断言しないで、『雪?』になるんだ。その調子で、桜の咲き方も、『五分咲き?』『七分咲き?』なんて聞いてくるんだろ」
「いいじゃん、別に」
「いや、断言するところを疑問にするのは、どう考えてもおかしい。それじゃ新喜劇の『おじゃまします、か?』と変わらなくなる」

「でも、疑問形にしなくちゃいけないところを偽って断言するよりマシよ。この前だって、あなた『このお店、美味しんだよ!』なんて言いながら、フィンガーボールの水を飲んでたじゃない。本当は初めのお店だったんでしょ。別のお店でも、瓦そばのもみじおろし一口食べて、『このニンジンおろし、美味しいね』って言ってたし、あそこまでサラッと断言されたら、吹き出しそうになるわ」

「さ、さすがにレモン入りの水だったら飲むだろ。それに、ニンジンおろしの件は、君の鼻から麺を出すためだ。本当に初めてじゃない!西洋料理は、その日以前に2.5回は行ってた」
「何、その0.5って?」
「映画で観たシーンも、0.5にカウントされるんだ」
「まさか、そのシーンを5回観たから、2.5って言うんじゃないでしょうね?」
「それの何が悪い。本や映画で得たものも全部、カウントしていいんだ。そして6回目はタダだ」

「でも観たことと、実体験は全く違うわ」
「いや、ほぼ一緒だ。そもそも体験ってなんだ?まるで現実と理想を棲み分けしているみたいじゃないか。それは、自分と他人を区分けしているようなものだ。本来、自分自身だって他人でもあるんだ。にわとりとたまごはどっちが先かの話じゃないけど、そもそも順番なんてどうでもいい
「よく、わからない・・」
「一カ月間が半月程度に早く感じられるのも、年の初めを超理想として、理想と現実がちょうど混じり合う濃霧の中を三月まで歩いているからだ。でもそれがいいんだ」
「ん~、そうかな・・でも、疑問符はもとより感嘆符も不要よね。四月は、終止符だから」

 

P.S.
毎日が朝ドラ。

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