Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

いい人探し。

2017/04/07 0:00

賃貸の部屋を借りようとするとき、どうやって探すだろうか。
今は、大手サイトのSUUMO、アットホームなど、なかには春の応援10万円キャッシュバックフェアと銘打ったサイトも散見され、消費者の目移りに余念がない。

あれはネットだけで探し始めると、とにかく時間がかかって仕方がない。
最初は理想だけが膨らみ、次第に現実味に戻り、そしてまた理想に返り咲くといった、この浮き沈みのなかを行ったり来たり繰り返すから、絞り込む作業というより、広げる作業をやっているようなものだろう。
仮に、目ぼしい物件を見つければ、前乗りして下見くらいまではする。それでもやはり決心がつかない。よほどの気概がないと、とうとう最後は面倒くさくなって「今のままでいいや」となるのが、おおよそのオチなのだ。

昔のお部屋探しは、まず不動産の窓口に足を運ぶのが、慣例だった。
しかし今は、ネットの物件情報があまりにもリアルタイム過ぎて、もう街の不動産屋は必要ないと消費者側が勝手に淘汰してしまっている。

しかし、ネットの普及で、情報が乱立するからこそ、街の不動産屋が大切になった、と思っている。街の不動産屋といっても、老夫婦がやっているようなお店ではなく、毎年、新卒を採用している県下で有数の会社を指すのだ。

彼ら営業マンは、とにかくさばく件数が半端ではない。
お客さまを一目見ただけで、どの部屋を選ぶかはだいたい想定できるまでに目が卓越してしまっている。お客さまがいくら口では、「えーと、希望は・・上層階、南向き?そして眺めがいいところ」なんて伝えても、内心では「はい、はい」とだけで聞いているだろう。

で、実際内覧して、
「ここに決めます!」
「え?でもお客さま、南向きをご希望でしたよね、しかもここ2階ですよ」
「え、まー、でもここがいいです」

こんなやり取りは日常茶飯事で、しかも内覧した部屋というのは、営業マンが薦めた部屋である。結局、そのお客さまに元々希望なんてないことを見抜かれていたということだ。それは、人が本気で譲れない部分があるときは、たった一つだけだからだろう。もし二つ以上あれば、二つともウソであり、三つ以上あれば、部屋探し自体がウソかもしれない。

本当の現実は、営業マンだけが知っているということだ。であれば、一任するべきだ。
当然営利企業だから、自分たちの管理物件を薦めてくるだろう。でも管理物件だからこそ、隣戸にどんな人が住んでいるかを逐一把握できている。
この人は誠実だなと思えば、100%その物件を信じていいと思う。
そして入居後、その営業マンから御礼のハガキが来たら、200%信用していい。
これは実際の話である。まだ若いスタッフなのに律儀にハガキを出しているのだ。

また引越しするときは、是非そんな営業マンを介したほうがいいし、独立でもしようものなら、信者になっていいと思う。
心の応援フェアは、されるより、しているほうがずっと楽しいのだ。

 

P.S.
半信半疑ではなく、全身全霊のお任せ。

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壊れかけの仕事人。

2017/04/06 0:00

先日、パソコンが壊れると、ついでに部屋の冷房も壊れ、温水器、愛車のサイドミラー、近所の犬、ジャンガ、一つが壊れると立て続けに壊れるものだ。
賃貸であれば、管理会社に伝えるだけでオーナーが必要費としてカバーしてくれるが、自己所有物件であれば、普段からメンテに目を光らせないといけない。
もし壊れれば、自分でメーカーの修理センターなどへ問い合わせすることになる。

だいたい、この「センター」という名称からして、たらい回しの代名詞ではないかと思うときがある。何を聞いても、「そうですね・・ちょっと現物を見てお見積りをしてみないと・・」の受け答えで、すぐに症状が判然としないし、センターの趣旨は、とりあえず現物を送ってもらうか、各支店の担当を現地に派遣して、詳しいことは、その担当に聞いて欲しいという御用聞きサービスだ。誰しもが、急用で病院に電話するときは、まずは、ある程度の病名や原因を知りたいときだろう。

こと住宅設備の修理に関しては、とにかく面倒くさいイメージがあるのだ。
そして、来る担当までもが、どうにかして新品に替えてもらおうと躍起になるから、このやり取りがまた面倒くさい。出張費を取る以上、もう少し気の利いたことが言えないものだろうかと思ってしまう。

モノというのは、買ったときの喜びより、直ったときの喜びのほうが大きいものだ。「あー、直ったー」と心から感激の声が溢れ出て、涙腺の緩い人だったら、本当に泣く人だっている。

であれば修理は、モノ創りと同等、もしくはそれ以上であろう。
修理して直ることで、さらにそれを使い続けるわけだから、愛着という意味では充分に有益費として見ていいし、プロあれば、「新しい商品に替えたほうがいいですね」なんて言葉を発するべきではない。それは、主治医から、「来世に期待しましょう」と言われるようなものだ。

そして、今までいろんな営業マン、サービスマンを見てきて思ったのは、どんな下請け孫請けであれ、最初に名刺を差し出してこない人に、まともな人がいなかった。
風貌や言葉遣いがそこそこでも、必ず最後にボロを出す。つまり最初から自信がないのだ。

ある人が、「名刺を持てるだけでも有難いこと」だと言っている。
少なくとも会社側からは、「こいつだったらお客さまに会わせてもいい」と太鼓判を押してもらっているし、認めてもらっているわけだ。

しかも会社は、余程のことが無い限り、ギリギリまで使ってくれるし、叱咤激励で育ててもくれるのだ。従業員が先に愛者精神をちょうだいしているといっていい。

ただ、一人が完全に壊れれば、周囲にまで連鎖する。
であれば、そうなる前に自分から身を引くのも、立派な愛社精神といえるかもしれない。

 

P.S.
名刺は、プロ意識の代名詞。

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セオリーロボット。

2017/04/05 0:00

携帯電話ショップの店先では、白いロボットがあいさつをしてくるようになった。今では、アパレルショップやお好み焼き屋など、いろんな店舗にもいたりする。

しゃべりながら首を振るロボットが、胸にスマホを付けているだけにしか見えないが、子どもは物珍しがってはしゃぎ、親子で触れあっている姿を目にすると、客寄せパンダ的な存在ではあるのだろう。

ただ、ロボットの位置づけがよく分からない。
いくら「感情を持つロボット」と銘打っても、これが本当に、ん十年後には人間的対応を代替できるかは未知数だ。こぞって20万円前後の小型ロボットも出ているが、家庭に一台あると変に家族の情が移り、旦那さまへの情は軽薄になるばかりだろう。アイボだって、生産が終了したときは物議を醸したくらいだ。

それよりも、今の人間のほうがロボットに近いのではないだろうか。
雑貨店などのスタッフが、脳天から尽き出たような声で「どうぞ、ご覧くださいませ~」と、お客さまと目を合わさないで、ロボットのように連呼し、飲食店でも、ロボットのようなサービスしかできないスタッフもいる。

先日、温水器の修理を依頼したときなんか、最初に型番を伝えているのに、管理会社の担当が代わる度、型番を聞いてくるから、リセットされたロボットのようだった。「これが私の対応です」とか、「私が最初から事情をお伺いします」という強い我欲を持つロボットなのだ。裁判官の「ここは私の法廷です」という発言に近い。
それだと、もう感情を持ったロボットとして人間サイドが代替しているではないか。常に進化と便利を求めるだけの生身ロボットだ。

 

実は、本物のロボットとは、既にいっしょに生活している。
それは、もう一人の自分を体系化したものだ。
たとえば、よく音楽アーティストのプロモーションビデオに出てくるようなロボットである。多くを語らず、カフェして、ダンスして、いっしょに過ごす楽しい日々だ。

心の中だけで、「問いかけ」と「応答」の一人二役をこなす姿である。つまりそれが自分自身の定位置だろう。

昔、駄菓子屋の店先にあったガチャガチャを思い出す。
小学校時代の登校中は、朝いつも「いってらっしゃい」と声をかけてきてくれたから、「いってきます」と返していた。

「今日テストだね」
「そんなの知らんよ」

「今日は家庭科があるね」
「あっ、裁縫道具忘れた!」

魂(soul)を吹きかけて擬人化できれば、すべてがオンリーロボットだ。
まさに、SFの世界なのである。

 

P.S.
セカンドランナーがサインを盗んだからといって、わざわざタイムをかけてまで注意する主審は、ただの生身ロボット。

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かし折りの効能。

2017/04/04 0:00

愛車や家を売るなら、一括査定・お見積りサイトがある。
他には、リフォーム、引越し、生命保険、ピアノ、太陽光発電、など多岐にわたり、会社のロゴ・HP制作などは、コンペ形式で一括して全フリーランサーに提案をかけることができるマッチングサイトがある。

これらのサイトは、随分定着してきたし、おかげで面倒な商談を回避でき、一応の相場査定金額を知ることができるようになった。さらに今は、申し込むだけでポイントまで還元されるシステムまであって、まさに消費者天国である。

誰しもが、これだけ「一括」を好むのに、支払いのときだけはことさら「分割」にこだわり、一方、人に会って話すことに関しては、言い訳してでも逃げ回るのに、怒るときだけは、「一喝」しようと必至に会って話そうとする。

さて、これらのサービスについて実際のところどうなのだろうか。
営業マンを選り好みしながら、平身低頭で訪問してくる瞬間を至福としている人もいるから、それはそれで需要があるのだろう。

ただ、一度、依頼の送信ボタンを押せば、その後は、電話とメールの嵐である。
「一括」とは聞こえはいいが、丸投げというよりも、個人情報「丸出し」を意味し、気持ちのどこかで、戦々恐々としていないといけない。連絡が全くこない業者が1社でもいれば、それはそれでずっと落ち着かないだろう。最後は1社に絞るのだが、途中までは、5社くらいと同時進行で受け答えする必要があるから、結構な時間を取られてしまう。

いざ仕事が開始されても当然、ぞんざいな扱いを受けるだろう。
高価な動産や不動産を売るなんて行為は、一大イベントなはずなのに、それを知り合いや友人に相談できず、やみくもにオファーを出しているのだから仕方ない。

しかも、業者やフリーランサーは当然、二流であるということだ。
たとえ名の通った企業であっても、ちゃんとその会社内部の窓際族部門の営業マンたちが控えているのだ。お互いさまである。

取引の相手と会わない利点を享受できるのは、実は、業者やフリーランサー側のほうで、仕事が最終局面を迎えるにつれ、どうしても会って話したくなるのは、消費者のほうなのだ。

結果、これらネット上で完結するサービスは、一つの教訓を得ることになる。
自分にとって一流の営業マンとは、貸しがある友人、もしくはその友人の紹介だということに。

車だと、名の通ったオークション会場に加盟している車屋を経営している友人、不動産だと、会員制スタイルで不動産屋を経営している友人、他仕事の依頼に関しては、直接クレームが言える同じ市内に住む友人にお願いするべきなのだ。

普段からこまめな気持ちの上での貸しが欠かせないということになる。
それは、一括とか分割の類ではない。リボルビングのような一定さだ。

 

P.S.
元旦に一括初詣ではなく、年中を通じてのこまめな参拝。

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千姿万態。

2017/04/03 0:00

コンビニのレジで、商品を袋に入れるとき、なかなか緊張するようだ。
レジ係のバイト君たちの、その入れ方は千差万別である。

先日、「冷たい商品と、温かい商品を別にしましょうか?」と訊いてきたスタッフがいた。この人は、けしてトンチンカンなのではない。常温をこよなく愛する人か、お腹が弱い人だ。

雑誌を買ったときに、冷たいペットボトルと一緒にされても、けしてトンチンカンではない。そのスタッフは読書をしない人か、下敷きあるいは間仕切りと見間違えたのだろう。

納豆や卵焼きを買っても、箸を入れてくれないときは、そのスタッフは普段から手で食べる人だと思えばいい。
プリンを買っても、スプーンを入れてくれないときは、プリンは飲み物と断定しているか、家でプッチンプリンをしなさいという啓示なのかもしれない。

逆に多く入っている場合もそうだが、饅頭にスプーンが入っていたり、サンドイッチに箸が入っていたり、パン屋みたいに、一つひとつの商品を包まれたら、それはそれで、人は怒るだろう。それは自分のことを気にかけてくれていないと分かるからだ。

このバイト君たちが、唯一自慢できることいったら、まさに商品をレジ袋に入れるときではないだろうか。その商品にはどのカトラリーを附属すればいいかなんて、承知の沙汰で熟練している。にもかかわらず、箸やスプーン、ストローが入っていないのならば、お客さま側が相手の仕事ぶりをちゃんと見届けて上げていないからだ。
視線でずっと気にかけてあげれば、スタッフは思わず、「お箸、何本お付けしましょうか」と聞くフリして、表情を必ず確かめてくる。

外を眺めたり、別の商品を探しに行ったり、早くしてくれよオーラを出したり、余計な動作はしないほうが賢明である。うしろをキョロキョロ振り返れば、余計な商品を買わされるのだ。

これは仕事の商談にも当てはまるだろう。
ある業界で、そこそこ名の通った営業マンを知っているが、その人は、けして販売が得意なほうではない。むしろ流通に無知なほうである。なのに、なぜか次々に件数をこなしていくのだ。一度会って話す機会があったから、掘り下げてみた。

その人は自分が話し終わった後、つまり攻撃した後の後攻においては、徹底して守備に回る。ノートパソコンを出したかと思ったらそれはシステム手帳で、相手の会話をそれに時折メモしているのだ。

雑談するなかで気付いたのは、相手の話を一切さえぎらず、見守ることだった。
それは、買った商品問わずに、おしぼりが入っているような優しさではなかろうか。
面談だって、時間という命の断片をちょうだいするのだから、「いただきます」「ごちそうさま」がある。最初から最後までを重んじているから、相手もまた会いたくなるのだろう。

それは「千」から「万」。相手に属する固有の数字、本数を知る術なのかもしれない。

 

P.S.
沈黙という会話のすき間に「気持ち」が入る。

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天然果実。

2017/04/02 0:00

九州別府には、「地獄めぐり」という観光名所がある。

血の池地獄、かまど地獄、海地獄、白池地獄、龍巻地獄、あり地獄、借金地獄、法律事務所アディーレ。
今はとくに春休みと重なって、観光客でごった返しているが、天然のつく『坊主地獄』というところだけは、ガラガラである。観光バスはおろか、駐車場には一台も車が停まっておらず、不思議と誰もいない。
しかも、お土産といった売店らしい売店もないから、異様な雰囲気を醸し出している。
興味本位で窓口のおばちゃんに事情を訊いてみた。

そこは、他の地獄と独立しているから、「めぐり」のツアーに組み込まれていないらしく、入場料もその都度支払う必要があり、それを知った観光客のほとんどが別を地獄にそそくさと流れるという。
確かに、ツアーを一度体験して思うのだが、17時までに離れた主要七か所の地獄を次々にこなす必要があり、観ることよりも回りきることを優先して、変なシステムだなとは、前々から思っていた。国の名勝指定がなされたこともあって、人気を博す一方、この坊主地獄は、ツアー加盟に固辞している姿勢である。

坊主地獄のウリは、なんといっても、湧き出る灰泥が沸騰する様子だろう。
映画『千と千尋の神隠し』の川の神を彷彿して、確かに見所ではあるが、実はそれよりも、もっと感慨深い跡が残っているのだ。

その跡は、やや深く沈んだ窪みで、そこの前で立ち止まると、吸い込まれるような感覚に襲われるのだ。最近、吸い込まれてばっかりだが、以前、ブログに「クソ坊主」と表現したことで、自責に念を駆られたかもしれない。とにかく、そこは深く寂しい場所だった。

これについて宣伝不足なのではないかと思ったくらいで、主観ではあるが、さっきの主要七か所が束になっても、この坊主地獄には敵わないじゃないか、と自分では思っている。横綱と小結くらいに違うと感じた。
他が外国人観光客でごった返しているのに対し、そこは歴史の断片をひっそりと感じることができるから、ある意味の穴場で一日中いてもいいくらいだ。

それはまるで、天才ほど陰に潜んでいることを示唆しているようだった。
自分がメリットと思っているところは、実は他人からすると、さほどメリットでもなく、シャンプーでもないときがあって、本当のメリットとされるのは、窪んだ跡のように、静かで、深く、淡々とした場所に潜んでいる。それが本物の天然の部分だろう。

そもそもが、この世は嫉妬めぐりの中を生きているといっていい。
あれだけ人気の俳優女優だと博されていた人が、今では大嫌いランキングに一転する恐ろしいご時世だ。天国と地獄、どちらも可もなく不可でもない。目立たず、ひっそりとしているほうが一番幸せなのかもしれない。

 

P.S.
そして、周囲は地獄耳地獄。

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知的な檻。

2017/04/01 0:00

公園に行けば、犬に吠えられ、猫と目が合えばあくびをされる。
自分は、そこまで動物が好きではないから、動物も自分のことが好きではないのだろう。お互いさまである。

それなのに、三カ月一度のペースで、アフリカンサファリパークに行くようになった。現地まで、結構な道のりだが、行くだけの価値は充分にある。

壮観な野生ゾーンにマイカーのまま乗り入れる方法、もしくはジャングルバスに乗り換えるのかを選択できる。護送車のようなバスに乗って、中からエサを与えるお馴染みのあれだ。
動物園では、動物たちが檻に入っているけど、ここは人間が檻に入って移動する。

そして、何が面白いかと言えば、運転手さんによる生のナレーションだ。
むしろ動物を見るより、楽しいくらいである。

それは、ある程度マニュアル通りだろうけど、リズミカルな言葉のなかに、今のはアドリブだなとか、昨夜考えた渾身のセリフかもとか、聞くたび「へェー」なんて思わず声が漏れてしまう。その人の話を聞いていると、動物が好きなんだなぁと分かるし、一方では、全然やる気のない平板なスタッフもいて、動物たちにもそれが伝わるから、ハズレの運転手さんが停まっても、動物たちが群れでは近寄ってこないし、ライオンは体当たりで攻撃してくる。動物からすると、敵が一頭でもいれば、全員敵でありエサなのだ。まさにそのときは、エサがエサを与えている姿だろう。

 

「象は、かなり賢くて、一度見た人間の顔を一生忘れません」
「サイの視力は30センチ先しか見えてないことはよく知られていますが、耳は1キロ先までよく聞こえています」
動物もすごいが、人間だって、すごい洞察力を天から授かっているといっていい。
ウソはもちろん、虚勢を張ったり、いくら熱弁をふるっても、他人のことだったら、「今のはウケウリだな」なんて、地球の裏側までお見通しだ。その代わり、距離0の自分のことになると、まったく見抜けないでいる。

翻ると、他人から見た自分がすべてであり、それは透明の檻に入れられているイメージだろう。
檻の中での、普段の振る舞いを鑑みて、そこから出してあげるかどうかを判断されているといっていい。つまり相手を認めないと、自分も出してはもらえないという意味だ。

ハイエナに関していえば、実は、どの動物よりも狩りを率先する努力家で、体のデカいライオンたちが近寄れば逃げるしかない。去った後のその残滓を食べる姿から、そう間違った印象が付いてしまったのだ。
けど人間は、誤解や軽信をいくらされても構わないのだ。

一番怖いのは、研鑽を怠ったばっかりに、柵越しに何を話しても、相手にされずあくびされるときだろう。
だとすると、レベルを上げないといけない。たくさん勉強しないといけない。肝要なのは、知的のリズムである。

ちなみに、ハイエナの情報もウケウリだけど。

 

P.S.
人間同士、みんなが生徒役であり、先生役。

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チャンス日和。

2017/03/31 0:00

陽気な春の空が、ぽかぽかと一年ぶりに広がっている。
さすがにこんな日は、バスタオルをベランダに干さないわけにはいかない。事務所移転や結婚式のあいさつ状は何年ぶりだろうと無視できるが、春陽のあいさつは無視できないものだ。動植物がこの時期、長い冬眠から目を覚めてしまうのも無理はない。

自然の力を潤沢に浴びたそのバスタオルをそっと顔に当てると、スッーと吸い込まれるような不思議な感覚だ。
でも、これと似たシチュエーションをどこかでも感じたことがあるように思えた。

本屋である。
あのインク刷りたてのような香り。
それは、天日干した洗濯物をさらにピシャッとアイロン掛けして整然と並んでいるような。一冊の本を手に取り、極薄ミルフィーユの束が自らの力で開かれるとき、香りが薫りとなって、自分の顔を物理的に誘惑してくる。

さて先日、付き添いで図書館に行くことがあった。
久しく図書館に来ていなかったが、館内を目の当たりにして、びっくりしたものだ。こんなにまで貧相だったのかと改めて痛感してしまったのだ。

それは、一週間以上履き続け、脱衣所で脱ぎ散らかしたら、犬が玄関までくわえて運んだ靴下のようだった。
図書館で働いている人には申し訳ないが、そこはとても神秘の空間には程遠い。
本に触れようという気にさえなれないものだ。

ただ、図書館がイケないということではない。めちゃくちゃイケないと言っているのだ。
もはや、小学生の見学会とか、文献探しくらいにしか、資することがないのではないかとまで思ってしまう。

本屋さんとどこが違うのだろうか。
著者の知恵をタダで読みまわすことがズルいといったことよりも、図書館だとどれだけ長居しても、もよおさないからだろう。つまり、チャンスの有無だ。

本屋だと襲われるその感覚は、何かのメッセージであり、
「トイレに行く次いでに、今手に持っている本を買って、さっさと帰りなさい」という意味だと自分は思っている。もし、何も持っていない場合は、気付かずに通り過ぎたのだから「また来なさい」だ。

つまりチャンスは何気ない一瞬のみということではないだろうか。
著者が誰であるとか関係なく、もうそこは雰囲気とか、直感の類になる。

先日、猛烈にそれを感じた本があった。買って家に置くと、二、三日も経てば家の匂いに馴染んでしまう。しかもそれが、自分が絶対に読むことのない小説だったのが残念で仕方がない。
恐る恐る読んでいくにつれ、不思議な感覚に襲われたのだ。
天日干しされたバスタオルのように。そして吸い込まれるように。

タイトルは、『騎士団長殺し』だった。著者に名前に「春」がついていた。

 

P.S.
新品の薫りは、次に読了した本人から放たれる。

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甘いレモン。

2017/03/30 0:00

唐揚げには、レモンが添えられている。
緑のパセリと、くし型の黄色が目の味覚をほどよく調和させる。

自分はレモンをかけない派だが、一応、備えられているときは、たまに絞ってみたりする。すると、ふと昔の記憶が蘇ってくるのだ。

サラリーマンの新人時代に、同じテーブルにいる班の先輩から、唐揚げにレモンをかけてと言われ絞ってみれば、「ウッ!」と言って片目を手で押さえる上司がいた。でも演技である。

最初は、レモン汁が目に入ったかと思い、「あっ、すみません」なんて、自分ひとりだけがそれにひっかかり、周囲は笑いの渦だった。その上司が決まってこれをやることを課内で周知されていたのだ。

別の日、似たようなシチュエーションで、新人がレモンを絞った際に、「うっ!」と自分もやってみたところ、その場の空気が一瞬で凍り付いたのが分かった。先の上司が、引き攣り笑いを浮かべながら、遠い目をしていたのだ。それ以来、その上司と目が合うことはなかった。
今でも唐揚げのレモンを見るたび、そのときの苦い過去を思い出すのだ。

会社組織においては、多くの「暗黙の了解」が存在する。
業務上はもちろん、大宴会や忘年会、餅つき大会など、家族も参加できる無礼講の席では、上司の奥さまよりも美人妻をもつ妻帯者は気を付けなければいけない。新人は、これをやらかすのだ。新婚だと、張り切って愛妻を連れてきたくなるが、そこはグッと堪えて一人で行くか、奥さまを男装させるかだ。

草野球行事でいえば、上司がたとえド素人でも四番バッターだった。
塁に出て、いくらトンチンカンにリードが大きくても刺してはいけない。
上司が盗塁して、アウトのタイミングだったら、ショートの部下は、捕球を誤るか、気を失うかだ。

ゴルフでは、上司がOB方向を打っても、「ファー!」なんて叫んではいけない。「フックで戻ってこい!」と檄を飛ばさなくてはいけないのだ。間違えて、「ファ、ファ、ファックカモン!」と叫んだこともある。そして、次番の部下は、もっととんでもない方向に打たなくてはいけない。ティーマーカーに打球を当てて真後ろに飛ばす豪傑もいたくらいだ。ちなみに、その部下は、中堅の支店長に栄転した。

このように多くの不文律が存在したのだ。
それはレモンの汁のように、もの凄く酸っぱいし、いつどこに飛び火するか分からない。
その点、法律とか正しさや平等を説くほうが至って簡単だ。でもそれはどこか甘いフリをした酸っぱい葡萄のような話である。

実際にかじったことがある人だけに見えてくる、感情や格差の大切な風景があるのだ。けしてゴマ擦りとか、卑屈の態度ではない。無言の寄進である。
これは独立後に必ず活きるといっていい。

そういう意味では、ギトギト油で揚げた唐揚げ料理に、レモンは和らげる効果として寄与しているのだろう。
とくに、組織内の揚げ足には。

 

P.S.
上司の発言には、すべて首肯(しゅこう)。じゃないと、子会社に出向。

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ハッピーホテルのダブルブッキング。

2017/03/29 0:00

ホテルのチェックイン開始時刻は、大体どこも14時か15時くらいだと思う。
事前に予約し、その時刻10分前には到着する。フロントで所定の手続きを経て、颯爽と部屋に流れ込むといった感じだ。

しかし、今日は違った。
とあるホテルに着くと、「あと10分あるので、少々お待ちください」と対応されたのだ。初めてのことで耳を疑った。「あと10分、そばにいていい?」の間違いではないかと聞き返しそうになったが、仮にそうであっても、時間のムダである。

ネットで予約するときは、到着予定時刻を入れるようになっていて、「遅れる場合は、お電話をください」とある。ということは、その時刻とは、つまり待ち合わせの時刻であって、遅れないよう10分前に到着することは、信義則の範疇なのだ、と思う。

まだ若い女性スタッフだったから、お金をちょうだいする相手がいかに偉大な存在であるのか、まだ不知でいる。そこそこ名の通ったホテルだから、ひと言本音を伝えようと思い、一応、頭の中で予行演習をしてみた。

(パターン1)
「10分前くらい問題ないでしょ。それともなんですか、まだ掃除が終わってないんですか」
「申し訳ございません。当ホテルは14時からです。決められたことですので」

(パターン2)
「そちらは、約款にもあるように、宿泊費とは別途サービス料10%がかかりますよね。だったら、10分前の『10』とハッピーアイスクリームじゃないですか。それにどうせ別途なら、ウチにある要らないベットを持って行ってください!」
「お身体の具合がすぐれないようでしたら、お薬をお持ちいたしましょうか?」

(パターン3)
「限界です。も、もう漏れそうです。しかも大、は、は、早く部屋のキーを!」
「えっ、あっ、ト、トイレはロビーの奥でございます!」

と、いずれも失敗に終わりそうだ。
語気を強めて揉め続けると、逆にこっちが品位に欠けたお客さまになってしまう。
いずれにせよ、当の本人をいくら諭しても、まったく意味がない。それは、赤ちゃんに、因数分解を教えるようなものだ。

力を込めて「なるほど!」の笑みを浮かべてみるようにした。
すると相手のことが本物の赤ちゃんに見えてくる。
さっきこみ上げた怒りがきれい浄化してハッピーになるイメージだ。なんという紳士たる振る舞いだろうか。

理不尽をすべて我慢しようという意味ではない。理不尽と思えば、すべてが理不尽になるのだ。つくづく頭の中は、宇宙からの借り物だと思う。いつでも好きな感情の小部屋にチェックインできるのだ。
思考と表情のハッピーアイスである。

そうすれば、眺めのいい客室が待ち受けていたり、美しい女性客と同じフロアですれ違ったり、ちょっとしたいい事があったりするものだ。

今宵も、冷蔵庫のもので、一献振る舞いたい。

 

P.S.
部屋に入って10分後、ふとフロントに電話した。
「だいたいあなたがたは、アーリーチェックインを知っているんですか!!」

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