Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

月別: 2017年3月

チャンス日和。

2017/03/31 0:00

陽気な春の空が、ぽかぽかと一年ぶりに広がっている。
さすがにこんな日は、バスタオルをベランダに干さないわけにはいかない。事務所移転や結婚式のあいさつ状は何年ぶりだろうと無視できるが、春陽のあいさつは無視できないものだ。動植物がこの時期、長い冬眠から目を覚めてしまうのも無理はない。

自然の力を潤沢に浴びたそのバスタオルをそっと顔に当てると、スッーと吸い込まれるような不思議な感覚だ。
でも、これと似たシチュエーションをどこかでも感じたことがあるように思えた。

本屋である。
あのインク刷りたてのような香り。
それは、天日干した洗濯物をさらにピシャッとアイロン掛けして整然と並んでいるような。一冊の本を手に取り、極薄ミルフィーユの束が自らの力で開かれるとき、香りが薫りとなって、自分の顔を物理的に誘惑してくる。

さて先日、付き添いで図書館に行くことがあった。
久しく図書館に来ていなかったが、館内を目の当たりにして、びっくりしたものだ。こんなにまで貧相だったのかと改めて痛感してしまったのだ。

それは、一週間以上履き続け、脱衣所で脱ぎ散らかしたら、犬が玄関までくわえて運んだ靴下のようだった。
図書館で働いている人には申し訳ないが、そこはとても神秘の空間には程遠い。
本に触れようという気にさえなれないものだ。

ただ、図書館がイケないということではない。めちゃくちゃイケないと言っているのだ。
もはや、小学生の見学会とか、文献探しくらいにしか、資することがないのではないかとまで思ってしまう。

本屋さんとどこが違うのだろうか。
著者の知恵をタダで読みまわすことがズルいといったことよりも、図書館だとどれだけ長居しても、もよおさないからだろう。つまり、チャンスの有無だ。

本屋だと襲われるその感覚は、何かのメッセージであり、
「トイレに行く次いでに、今手に持っている本を買って、さっさと帰りなさい」という意味だと自分は思っている。もし、何も持っていない場合は、気付かずに通り過ぎたのだから「また来なさい」だ。

つまりチャンスは何気ない一瞬のみということではないだろうか。
著者が誰であるとか関係なく、もうそこは雰囲気とか、直感の類になる。

先日、猛烈にそれを感じた本があった。買って家に置くと、二、三日も経てば家の匂いに馴染んでしまう。しかもそれが、自分が絶対に読むことのない小説だったのが残念で仕方がない。
恐る恐る読んでいくにつれ、不思議な感覚に襲われたのだ。
天日干しされたバスタオルのように。そして吸い込まれるように。

タイトルは、『騎士団長殺し』だった。著者に名前に「春」がついていた。

 

P.S.
新品の薫りは、次に読了した本人から放たれる。

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甘いレモン。

2017/03/30 0:00

唐揚げには、レモンが添えられている。
緑のパセリと、くし型の黄色が目の味覚をほどよく調和させる。

自分はレモンをかけない派だが、一応、備えられているときは、たまに絞ってみたりする。すると、ふと昔の記憶が蘇ってくるのだ。

サラリーマンの新人時代に、同じテーブルにいる班の先輩から、唐揚げにレモンをかけてと言われ絞ってみれば、「ウッ!」と言って片目を手で押さえる上司がいた。でも演技である。

最初は、レモン汁が目に入ったかと思い、「あっ、すみません」なんて、自分ひとりだけがそれにひっかかり、周囲は笑いの渦だった。その上司が決まってこれをやることを課内で周知されていたのだ。

別の日、似たようなシチュエーションで、新人がレモンを絞った際に、「うっ!」と自分もやってみたところ、その場の空気が一瞬で凍り付いたのが分かった。先の上司が、引き攣り笑いを浮かべながら、遠い目をしていたのだ。それ以来、その上司と目が合うことはなかった。
今でも唐揚げのレモンを見るたび、そのときの苦い過去を思い出すのだ。

会社組織においては、多くの「暗黙の了解」が存在する。
業務上はもちろん、大宴会や忘年会、餅つき大会など、家族も参加できる無礼講の席では、上司の奥さまよりも美人妻をもつ妻帯者は気を付けなければいけない。新人は、これをやらかすのだ。新婚だと、張り切って愛妻を連れてきたくなるが、そこはグッと堪えて一人で行くか、奥さまを男装させるかだ。

草野球行事でいえば、上司がたとえド素人でも四番バッターだった。
塁に出て、いくらトンチンカンにリードが大きくても刺してはいけない。
上司が盗塁して、アウトのタイミングだったら、ショートの部下は、捕球を誤るか、気を失うかだ。

ゴルフでは、上司がOB方向を打っても、「ファー!」なんて叫んではいけない。「フックで戻ってこい!」と檄を飛ばさなくてはいけないのだ。間違えて、「ファ、ファ、ファックカモン!」と叫んだこともある。そして、次番の部下は、もっととんでもない方向に打たなくてはいけない。ティーマーカーに打球を当てて真後ろに飛ばす豪傑もいたくらいだ。ちなみに、その部下は、中堅の支店長に栄転した。

このように多くの不文律が存在したのだ。
それはレモンの汁のように、もの凄く酸っぱいし、いつどこに飛び火するか分からない。
その点、法律とか正しさや平等を説くほうが至って簡単だ。でもそれはどこか甘いフリをした酸っぱい葡萄のような話である。

実際にかじったことがある人だけに見えてくる、感情や格差の大切な風景があるのだ。けしてゴマ擦りとか、卑屈の態度ではない。無言の寄進である。
これは独立後に必ず活きるといっていい。

そういう意味では、ギトギト油で揚げた唐揚げ料理に、レモンは和らげる効果として寄与しているのだろう。
とくに、組織内の揚げ足には。

 

P.S.
上司の発言には、すべて首肯(しゅこう)。じゃないと、子会社に出向。

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ハッピーホテルのダブルブッキング。

2017/03/29 0:00

ホテルのチェックイン開始時刻は、大体どこも14時か15時くらいだと思う。
事前に予約し、その時刻10分前には到着する。フロントで所定の手続きを経て、颯爽と部屋に流れ込むといった感じだ。

しかし、今日は違った。
とあるホテルに着くと、「あと10分あるので、少々お待ちください」と対応されたのだ。初めてのことで耳を疑った。「あと10分、そばにいていい?」の間違いではないかと聞き返しそうになったが、仮にそうであっても、時間のムダである。

ネットで予約するときは、到着予定時刻を入れるようになっていて、「遅れる場合は、お電話をください」とある。ということは、その時刻とは、つまり待ち合わせの時刻であって、遅れないよう10分前に到着することは、信義則の範疇なのだ、と思う。

まだ若い女性スタッフだったから、お金をちょうだいする相手がいかに偉大な存在であるのか、まだ不知でいる。そこそこ名の通ったホテルだから、ひと言本音を伝えようと思い、一応、頭の中で予行演習をしてみた。

(パターン1)
「10分前くらい問題ないでしょ。それともなんですか、まだ掃除が終わってないんですか」
「申し訳ございません。当ホテルは14時からです。決められたことですので」

(パターン2)
「そちらは、約款にもあるように、宿泊費とは別途サービス料10%がかかりますよね。だったら、10分前の『10』とハッピーアイスクリームじゃないですか。それにどうせ別途なら、ウチにある要らないベットを持って行ってください!」
「お身体の具合がすぐれないようでしたら、お薬をお持ちいたしましょうか?」

(パターン3)
「限界です。も、もう漏れそうです。しかも大、は、は、早く部屋のキーを!」
「えっ、あっ、ト、トイレはロビーの奥でございます!」

と、いずれも失敗に終わりそうだ。
語気を強めて揉め続けると、逆にこっちが品位に欠けたお客さまになってしまう。
いずれにせよ、当の本人をいくら諭しても、まったく意味がない。それは、赤ちゃんに、因数分解を教えるようなものだ。

力を込めて「なるほど!」の笑みを浮かべてみるようにした。
すると相手のことが本物の赤ちゃんに見えてくる。
さっきこみ上げた怒りがきれい浄化してハッピーになるイメージだ。なんという紳士たる振る舞いだろうか。

理不尽をすべて我慢しようという意味ではない。理不尽と思えば、すべてが理不尽になるのだ。つくづく頭の中は、宇宙からの借り物だと思う。いつでも好きな感情の小部屋にチェックインできるのだ。
思考と表情のハッピーアイスである。

そうすれば、眺めのいい客室が待ち受けていたり、美しい女性客と同じフロアですれ違ったり、ちょっとしたいい事があったりするものだ。

今宵も、冷蔵庫のもので、一献振る舞いたい。

 

P.S.
部屋に入って10分後、ふとフロントに電話した。
「だいたいあなたがたは、アーリーチェックインを知っているんですか!!」

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飽くなきワンパターン。

2017/03/28 0:00

「え、ウソ!」
連れが、びっくりするような声で、新聞の四コマ漫画が連載終了になると嘆いていた。この漫画からどれだけの勇気をもらったか分からない、と涙で湿ったような声で訴える。
ふだんは、「今日のは、くだらん」とか、「いつも、ワンパターンやね」なんて、コテンパンに批評していたのに、いざ終了となると急に残念がるのが不可解だ。

ラジオにしてもそうである。
一年間、何気なく聴いていた番組のパーソナリティが、唐突に「今日でお別れです」なんて電波の向こうから聞こえようものなら、「え、ウソ!」なんて一転する。ファンの中には嗚咽する人までいるかもしれない。

しかし、予告されるだけまだマシというものだ。
不幸が、突然に訪れた場合はどうだろ。
朝、あれだけ元気な顔で「行ってきまーす」と出かけた子どもが、予期せぬ不幸に見舞われる。親は途方に暮れ、もし事前に察知できたなら、出かけるのをどうにか静止できたのにと、次第に己を恨み、せめてパンツの予備を持たせてあげていたらと後悔する。そうすれば、さっき子どもから「もらしちゃった~」と電話が入っても、「え、ウソ!」なんて動揺することはなかったはずだ。

何かの本で、ホメオスタシスという言葉を見たことがあるが、自分の中で定着していた恒常的な流れに、ふと変化の圧力が加わると、人は動転するという。

とはいえ、自分の流れが一定で、それを取り巻く環境の変化まで乏しければ、これはこれでいずれ飽きるのだ。住む場所や、仕事、趣味など自分の生き方について、人は飽和を嫌い、常に刺激を求めている生き物といえる。

たとえば、博打で、今日負けると明らかに予見できても、「いーや、自分の運はちょっと人並外れている」と言って挑戦し、かなりの高確率で大金を失う結果になるだろう。
親から進路を反対されている高校生が、「いーや、自分で決めた大学に行く!」と言って聞かずに決意を固めても、かなりの高確率でとんでもない会社に就職するだろう。
でも、結果はどうであれ、納得はするはずだ。

新しいものに触れ、新しい世界を渇望し、自分の選んだ誤りが一番楽しいのだ。つまり、純粋に自転していたいからだ。
自分の中で常に変化していれば、いちいち外部のひょんな圧力に憂えなくていい。

先のラジオで、パーソナリティが最後にこう言った。
「次回から新番組は〇〇。そのパーソナリティは、私でーす!」

 

P.S.
同じ「え、ウソ!」でも、喜怒哀楽の四パターン。
でも、自転していれば、「楽」のワンパターン。

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一年生植物。

2017/03/27 0:00

言葉が深く身にしみるときがある。
クラス児童の一年間の思い出作文を冊子にし、表紙に担任の先生が短文を綴っているのだ。
そこには、進級のお祝いを兼ねていながら、まるで今回が卒業式であったかのような、どこかお別れのあいさつに近い言葉だった。

よく考えてみれば、小中学生は留年することがない。そういった意味では、毎年が学級ごとの卒業でもあるし、先生だって、担任最後になるのかもしれないのだ。

先生の文章は、実にシンプルだった。
『はじめてであれば、つまずいて苦しいこともあるけど、きちっと受けとめて、勇気をだして動きだせば、やってよかった思えるときがきっと来る。
〇年〇組担任:華吉 結実子(仮名)』

低学年に向けて書いた内容だった。
パッと見ただけで、子どもたちが気付くかどうか、先生自身の名前の読みや意味を、そっと散りばめていることが分かる。
優しくすりおろした果実のようなその文章から、ほのかに薫る先生の甘酸っぱい筆力を目で感じ取ることができた。

自分がまかり間違って先生になったら、こうなるだろう。
『平凡な毎日。以下同文。
3年B組担任:平々(ヒラオドリ)』

文章は、今の感興をもろに露呈するものだ。
やって良かったと達観することは確かにあって、それは希望でもあり、一種の力強さでもあるけど、一方で、同じくらいの脆弱さが口を開けて待っているときがある。

トボトボ歩いていても、全くダイエットに効果がないように、気怠そうに山を登っても、痩せるというより、やつれるだけだろうし、反対に、同じところをハムスターのように走り、30分程度の軽い汗を流しているジム通いの人たちのほうが自然で滑らかなくびれを描いているものだ。

ただ裏を返せば、たった一つの支えがあれば、人間はどんな苦しみにも耐えうることができるということではないだろうか。

アウシュビッツのユダヤ人たちは、毎日の朝陽を拝むことで、どうにか生きながらえた。眩い陽光だけが唯一の楽しみだったのだ。
そして、クリスマスの日には解放されるという、仲間うちで勝手な幻想を抱いたばっかりに、その日を超えたとたん、バタバタと多くの人が亡くなった。人は体力よりも、精神力だけで生きていると言っていい。

ある人も、「人は必死になった時点で、必ず死が訪れる」と言ったくらである。
そうすると、何かに精一杯になるときは、いつか力尽きるのだから、わずかな矛盾という改良を織り交ぜたほうがいい。

作文集を読むために今、とあるホテルにきているが、冷蔵庫に入れたサンドイッチだけ唯一の楽しみだ。
そして、必死に生きないよう必死にこの文章を書いている。
そんな、どこか矛盾するお話だ。

 

P.S.
「力を抜くと筆が躍る。平々」

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間接技。

2017/03/26 0:00

後ろ髪を引かれる思いだ。
さっきチェックアウトしたホテルに、無性に戻りたくなった。よっぽど相性がよかったのだろうか。よく考えてみると、マイスリッパを部屋に忘れていることに気が付いた。

ホテルによっては、使い回しのスリッパが単に「消毒」の帯が装束されているだけのところがあって、マイスリッパを車に常備するようにしている。しかし、これをよく忘れるのだ。

フロントで預かってもらうときもあれば、鍵をもらって部屋に戻るときもある。
そのとき、自分が一晩泊まった部屋を顧みると、本当に自分を露呈しているなぁと思う。

テレビのターンテーブルが端の方にぞんざいに追いやられたままだ。
これを見た掃除のおばちゃんは、テレビを観ない人が泊ったんだわ、なんてちゃんと分かるのだろう。
ベッドのメイクでも、掛け布団が壁に挟まったままだったから、引っ張るのが面倒くさかったのか、非力なのかのどちらかだろうなんて思われ、カーテンの右側だけ閉まっているから、この位置で朝、着替えて出かけたんだわとか、うん?スリッパを履いていないようだから、ポニョみたいな人が泊ったのか、いや、ポットのコードの結び方がへたくそだからきっと男性だな、など人間模様がありありと伝播されているのだろう。それはまるで映画『96時間』のように。

そして、テーブルの上に目をやると、まだ100円玉が置いたままだ。
自分は、ホテルを出るときには、「ルームメイク100円満点!」と書いたメモと100円玉を残して去っている。これを見たとき、そうじのおばちゃんがどう思うかなんて考えたことがなかったが、いざ自分でも見てみると、我ながら失礼な所作だなぁなんて思ってしまう。
また100円というところがケチ臭い。自分がおばちゃんだったら、「1万円くらい置いていきなさいよ!」なんて思うかもしれないのだ。

周囲の親しい者に、これついて訊いてみた。
Aさん:「二重丸の200円は?100円じゃ今どき何も買えないしね」
Bさん:「いいんじゃない。それよりさぁ、今日何食べる?」
Cさん:「スロットのコインは?」
Dさん:「私にちょうだい」
ハムスター:「カラッカラッカラッ」

いろんな意見があるなか、ある人がこう切り出した。
「それなら何もしないほうがいいんじゃない。直射過ぎるよね。」
「直射?」
「うん。ホテルがなぜ快適か。それは、ホテルの客室には、家の天井みたいに照明がないよね。壁から点々と小さい明かりがあるだけ。なのに、夜になっても寂しくもなく、むしろホッとする。つまり『ともし火』だね。上からよりも同じ目線である明かり、命の灯だよ
「なるほど。目が行くところほど、さりげなさが必要だってことか」
「うん、気持ちよく部屋を引き払えば、それだけで充分。そのほうが、尾を引かないしね」
「高潔なアメニティだな~」
「気づいただけでもいいじゃないの。で、この授業料は1万円でいいわよ」

 

P.S.
スコアメイクも、ソフトな角度のPSサンド。

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四月になれば。

2017/03/25 0:00

「もう三月も終わるね。一月は行く。二月は逃げる。三月は去る」
「うんうん。で、四月は、なんて言うんだろ?」

「んー、し、し、出発?あと、心機一転も合うね」
「ん~思うに、四月が四十肩。五月が五十肩。六月が六十型テレビだ」
「なんで最後だけテレビなのよ」
「じゃあ、テレビ?」
「?って語尾を上げただけじゃないの」

「君こそ、さっき『出発?』って語尾を上げたじゃないか」
「ま、そうだけど・・」
「だいたい、女性はみんな妙なところで疑問符を付けるよね。相手の出方を窺っているのか知らないけど、この前も、『今日は、春の寒波に見舞われるらしいよ。場所によっては、雪?が降るみたい』なんて言ってたじゃないか。なんで『雪』と断言しないで、『雪?』になるんだ。その調子で、桜の咲き方も、『五分咲き?』『七分咲き?』なんて聞いてくるんだろ」
「いいじゃん、別に」
「いや、断言するところを疑問にするのは、どう考えてもおかしい。それじゃ新喜劇の『おじゃまします、か?』と変わらなくなる」

「でも、疑問形にしなくちゃいけないところを偽って断言するよりマシよ。この前だって、あなた『このお店、美味しんだよ!』なんて言いながら、フィンガーボールの水を飲んでたじゃない。本当は初めのお店だったんでしょ。別のお店でも、瓦そばのもみじおろし一口食べて、『このニンジンおろし、美味しいね』って言ってたし、あそこまでサラッと断言されたら、吹き出しそうになるわ」

「さ、さすがにレモン入りの水だったら飲むだろ。それに、ニンジンおろしの件は、君の鼻から麺を出すためだ。本当に初めてじゃない!西洋料理は、その日以前に2.5回は行ってた」
「何、その0.5って?」
「映画で観たシーンも、0.5にカウントされるんだ」
「まさか、そのシーンを5回観たから、2.5って言うんじゃないでしょうね?」
「それの何が悪い。本や映画で得たものも全部、カウントしていいんだ。そして6回目はタダだ」

「でも観たことと、実体験は全く違うわ」
「いや、ほぼ一緒だ。そもそも体験ってなんだ?まるで現実と理想を棲み分けしているみたいじゃないか。それは、自分と他人を区分けしているようなものだ。本来、自分自身だって他人でもあるんだ。にわとりとたまごはどっちが先かの話じゃないけど、そもそも順番なんてどうでもいい
「よく、わからない・・」
「一カ月間が半月程度に早く感じられるのも、年の初めを超理想として、理想と現実がちょうど混じり合う濃霧の中を三月まで歩いているからだ。でもそれがいいんだ」
「ん~、そうかな・・でも、疑問符はもとより感嘆符も不要よね。四月は、終止符だから」

 

P.S.
毎日が朝ドラ。

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小さな小さな珈琲カップの訓戒。

2017/03/24 0:00

県下の辺鄙な田舎街まで足を運び、一度も入ったことがない喫茶店に入ってみた。
かなり瀟洒な造りで、内観も品格が漂い、二流のお客さまに入る隙を与えないお店だ。自分は、はばからず堂々と、奥の隅っこのテーブルに座った。

カウンターの向こう側に、お店の女性がひとり立っている。淑女で、美しい端正な顔立ちだ。しかし、その女性と、どうもさっきから自分と目が合う。見つめられるのは毎度のことで慣れているが、あからさまなところからすると、よっぽど酔いしれているのだろう。

注目するよりも、さっさと注文を取り来てくれという感じで目を合わせると、その女性は、ゆっくりと歩み寄ってきた。顔を上げて間近で見ると、幾分目じりの皺が目立つ。思ったより年上だ。もう少しオブラートに言うと、完全に老け倒しているイメージだ。
さっきは、カウンターのバックを彩るステンドグラスたちが総動員して、顔の皺を煌びやかにごまかしたのだ。
場面的には、一応、かっこつけるところだ。
「エスプレッソを」と軽やかににオーダーした。

待っている間、窓の向こうの中庭テラスに目をやる。誰もいないところに、ポツンとひとつだけ静謐そうに置かれたテーブルが、昔一度、自分がそこに座ったことがあるような不思議な感覚におそわれた。

「エスプレッソです」
思索にふけって気配を感じ取れなかったのか、女性の小さな声でも、ドキッとしてしまった。パッと姿勢を戻し、カップを見てさらにドキッとした。カップごとマシンで圧縮したのですかというくらいに小さい。

それにしても、時間がゆったり過ぎていく店内だ。
早かったのは、一秒で飲み干した空のカップだけだ。
すると、さきほどの女性がまた歩み寄ってくる。きっと、おかわりのお伺いだ。ありきたりな接客である。

すると、「平くんよね?」
そう。僕は平くん。さっき、チェックインするときに、そう名簿に書いただろう。それにお客さまに向かって君付けで名指しするとは、どういう了見だ。いやまてよ、ここは喫茶店だ。名簿なんてない。我に返って、サッと体ごとその女性のほうに向けた。
「私、〇〇よ。憶えてる?高校一年のとき同じクラスだった」
満面の笑みで、こっちを見ているが、同い年であることに動揺してこっちは満面の破顔だ。
大体なぜ、こんなところにまで同級生がいるのだ。しかしそこは紳士である。
「うわ~、全然、気付かなかった。綺麗過ぎて!」と取り繕った。
「うわ~、全然、その喋り変わってないね~」と彼女が返す。

 

ともあれ、同級生と出くわしたということは、自分の成長を見に来たということだ。せっかくの珈琲を薄っぺらな紙コップで飲むのではなく、重厚で深みをもちなさいという神の啓示なのではないか。

彼女が言った。
「だいぶん前にも来てくれたよね。すぐわかったわよ」
動揺が頂点に達し、「あり得ない」と言うつもりが、こう叫んでしまった。
「ア、ア、アリエッティ!」

 

P.S.
音読みよりも分かり易い「君」読み。

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どこでも濫用。

2017/03/23 0:00

今は、何でもWi-Fiである。
家庭にモデム一台あれば、何にでも繋がるのだ。
パソコンやスマホはもちろん、テレビ、ゲーム機、固定電話、カメラ、プリンター、インターホン、他に挙がれば、きりがある。これくらいしか思いつかないが、この調子で、水道蛇口、フライパン、ハムスターにも繋がると、世界はどう変わるのか。

とても便利にはなったが、ネットに繋ぐと私生活を覗かれているようで、そうでなくとも、絵のモデルになったようにどうも落ち着かないのだ。寝るときも、スマホの電源は必ず落としている。前までは、モデム本体の電源を落としていたが、これを毎日繰り返すと、モデムがすぐ壊れるようになった。もう一度、買っても同じように壊れたから、多分、電源を抜くな、ということだろう。

あと、幾分疑い深いのか、レンズというレンズには全部、シールを貼っている。
スマホのカメラレンズをはじめ、ドアスコープ外側、コンタクトレンズ、顕微鏡、おでこ。
それを見た連れが「なんか、シールが付いているよ。」なんて、当たり前のことをのたまうのだ。それに対して、こう答えた。
「君は、シールを貼らないのか?」
「おでこには貼らないわね。それにスマホに貼ったら、撮影できないじゃない。」
「撮影して何になるんだ?」
「来週、桜並木を観に行こうよ。年に一度の桜の美を収めないと犯罪よ。」
「僕は、生きていることが犯罪だ。犯罪なのに、罰せられないことがどれだけ苦しいか分かるか。」
「何を言っているの?」
「君の大切な時間もハートも奪っているんだ。この上ない犯罪だろ。」
「キャッ!」
「――なんていう恥ずかしい様子を、外部から見られている恐れがあるだろ。そんな顔で、どうしたらそんな言葉がついでてくるのか、どこかで笑い転げて研究されているかもしれないのだ。」
「でも、音声は筒抜けよね。映像の無いほうが、かえって想像が働くわよ。」
「え?」
「なんだってそうじゃない。声よ。好きな人の声が聞こえてくるだけでいいの。学生の頃は、うしろから聞こえてくるのあの人の声を聞けるだけで、毎日が楽しかったわ。そして、廊下ですれ違う時、一瞬だけ目が合うの。もうそれだけで、あ~あの人と繋がってる~、と思えるの。」
「Wi-Fiみたいなだな。絶対パスワードを教えたくない。」
「ヒドーい。」
人同士は、まず有線で繋がっていたという前提が優先だ。へその緒がそうだし、本命とは直感の赤い糸で結ばれてこそなんだ。じゃないと、不確かな関係においては、無線という執拗なやり方で相手の気を惹こうと奔走するんだ。まさに無線ランだ。」
「ま、ま、そうよね・・。」
「だいたい、そんな純愛小説みたいな話をしても、どうせ慣れ合いになれば、今度はお互いを監視するようになる。」
「そ、そんなことないわよ!」
「そんなわけで、今すぐイマドコサーチを解除してくれ。」

 

P.S.
プツプツ断ち切ろう。

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宇宙たばこ。

2017/03/22 0:00

たばこを棒キャンディのように縦に持って吸っている人を、最近よく見かける。
何か甘い味でもするのだろうか、当の本人たちは、ニコニコ顔だ。
傍から見てて、どうも煙が少ないようだが、焼肉、ホルモン、サンマを焼いて、煙が出なかったら怖いものである。煙の全く出ないゴミ処理場は、もっと怖い。

とはいえ、対照的に、二本指のスタンダードの人たちは、あまりにも険しい表情だ。ときには薄笑いも浮かべ、そのまま煙と一緒に宙に舞っていきそうである。

たばこを知らない宇宙人がそれを見たら、きっと前者に興味を抱き、その余の者を蹴り飛ばすだろう。だから喫煙者は分煙に追いやられ、煙に害があるというよりも、吸っている人たちの表情に害があると思われてしまったのだ。時代の流れである。

 

さて先日、子どもたちの着こなしを見て、ふと気になることがあった。
ちゃんと、Tシャツやトレーナーをズボンの中に入れているのだ。慌てて家を出たのか、厳しい親がいるのか、なんて思っていたら、どうも今のファッションとして定着しているらしい。

従来、「シャツイン」は、おじいちゃんたちの象徴で、ズームインはジャイアンツの象徴だった。でも元々は、シャツを入れないで歩くこと自体がみっともないことだったから、今のほうが正しいのだ。
小さい頃、親から「ちゃんとシャツを入れさい!」と小言を言われたときなんかは、「そんな体操服みたいな着方ができるかよ」なんて反抗していたものだが、自分はいつも体操服だったことに気が付いた。

子どもは、叱られそうなことを敢えてやるのだ。今の子どもに向かって、「ちゃんとシャツを出しなさい!」と叱責する親がいたばかりに、シャツインが流行ってしまったのかもしれない。

そういった自分の中での当然意識は、家族や周囲の影響を受けて大きく形成される。むしろ、その流れには逆らえないものだ。

誰しもが混沌のような煙の中を彷徨うことがあって、その他大勢の声を頼りに歩いていくしかないときがある。
しかし、それはまるで、ヘビースモーカーが煙を途方もなく目で追っている姿だ。

喫煙者を排除するのも簡単だし、煙を抑えることも簡単だ。
でも、自分特有の味わいを出すことは、この上なく難しい。

今は、すばらしい著名人、すばらしい音楽、すばらしい書籍など、多くの英知を簡単に手に入れることができるようになった。時にはむせたり、打ちのめされることもあろうが、倒れてもしっかり立ち上がり、たくさん吸い込んでいこうと思う。

そうすると、時代は確かに、横より縦になりつつあるのかもしれない。

 

P.S.
愛煙家は、「たばこ」。
嫌煙家は、「タバコ」。
宇宙人は、「%!&?÷#(縦のニコニコ)」。

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1...最後
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