Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

月別: 2016年12月

夜空ノシゴト。

2016/12/31 0:00

日めくりカレンダーなんかが、コンビニで売られていて、
よく見ると、故田中角栄のカバー写真のものがあった。

意外に売れているのか、棚の在庫が減っている。

でも、毎日めくっていくのも面倒だし、
今日の日付だけが分かったところで何か役に立つのだろうか。

カレンダーはある日の前後を、すぐに確認できないと意味がない。

 

裁判所の事務室なんかは、壁にデカデカと1月~12月まで一枚一枚、全部貼られている。

紛争・事件を扱う機関だけに、事の顛末という可逆と、
日付という不可逆が相まった場所というか、元来、仕事とはそういう形をいうのだろう。

モノを仕入れて販売する仕事だと、
今日売れたものは、三カ月前に仕入れたものだ。
知恵を売る仕事だと、
今日売れたものは、一年前に捻り出したものだ。

供給側は、三カ月ないし一年の幅を見据えていて、
大抵の消費者は、どうしても時代遅れのモノを買っていることになる。

でも、それが一番美しい姿だと思う。

 

一日一日を丁寧に生きている姿は、
一見素晴らしいようで、まるで太陽を直視しているようである。
即座の光はどうしても目に余ってしまう。

でも、夜空に浮かぶ恒星の輝きは、最短でも四年前の光である。
すぐには届かないけれど、とても優しい。

長きにわたって、苦悶を寝かせたものが、
ある日突然、美しい光に変わる、そんなイメージだろう。

それには継続して、自らが光を放たなくてはいけない。
暦よりも、流れである。

 

P.S.
厳つい顔が、次第に優しく見える。

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撤退の男達。

2016/12/30 0:00

受験生にとってみれば、
この冬休みをいかに過ごすかにかかっているみたいなことを言う。

夏休みにもそんなことを聞いたけど、
祈願や親族付合いと結構忙しく、食の誘惑と重なって、今の学生たちは一日中TVを観て、だらけているものだ。
まぁ、ある程度は志望校の的が絞れているからだろう。

絶対に高校・大学に受かりたいというよりは、
同級生に取り残されなければそれでいい、みたいな感じだろう。

 

受験といえば、
プロ野球を戦力外通告された者のトライアウト受験なんかもそうである。

球団から「オマエの価値は0円」とはっきり突き付けられて、
いくら他球団に拾ってもらったところで、今後の扱いはもう目に見えている。
「それでも野球がしたいんです」なんて必死に練習する姿が、もう学生の受験生レベルなのだ。

で、これを観たお茶の間が、「感動する!」なんて涙をこぼすのである。

 

本人も、もっと野球がしたいというよりは、正確には「もっと輝いていたい」だ。
だったら別で輝けばいい、なんて陳腐なことも言えない。

もう諦めることだ。
今後も、輝くなんて諦めたほうがいい。チヤホヤからの脱却である。
気持ちの整理に、4、5年はかかると思うけど。

諦めることは、けしてうしろ向きではない。
戦略の最高峰は、撤退である。

潔く撤退したからこそ、心の中でいつも燻(くすぶ)っている。
いつでも燃え上がることができる、そんな志が丁度いいのだと思う。

 

P.S.
文武両道とは、撤退できた者だけに与えられる勲章。

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恨みは極小から派生する。

2016/12/29 0:00

冷蔵庫にあったじぶんケーキが、誰かに食べられていたら、
ガックリくる。

「食べ物の恨みは怖い」なんて言葉あるくらいで、
後で食べようと、冷蔵庫にしまっていたものが忽然と消えたら、
また買えばいいじゃない、なんてそんな単純な問題ではない。

甘いものが嫌いでも、生菓子は食べるという人もいて、
勝手に他人の好き嫌いを判断して、数に入れないときなんかも、一応、「食べます?」とお声掛けしないと、後に修羅場と化する。

飲食店で、途中の皿を下げられたときなんか、憤慨の極みである。

 

これは、食べ物が豊かな時代になればなるほど、根強くなっていくと思うのだ。

大は小を兼ねる、みたいな言葉があるけど、
感情に、大きい小さいがあるのだろうか。

モノも豊かになって、断捨離が流行ったことなんかもそうだが、
豊さを「大」と表現するなら、恨みは、さらに「小」へとシフトしていく。

たとえば、
大手企業の不祥事が明るみに出て、陰謀説まで囁かれ、
SNSという小の発信から、大がコテンパにやられている昨今だ。
それは多くの人が、集団や群れに対する弊害を感じているからではないだろうか。

今は、パソコン一台で稼ぐ人がいて、
いわゆる個人事業主が活況を呈してきた。

中には、憧れで法人化する人もいるが、
節税というエサに踊らされていることが分かってくる。
会社は、ニキビよりも簡単に潰れるのだ。

これからは、小が大を兼ねる、
そんな時代になるではないか。

恨みは時代を兼ねている。

 

P.S.
パセリとエビフライのしっぽは、れっきとした食べ物です。

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好かれる勇気。

2016/12/28 0:00

「あの人、謙虚だね」なんて、
初めて会った人のことを、感想したりする。

「謙虚な人は、成功する」みたいな本も乱列していて、
でもそれは、たんに低姿勢なだけで、
内心では何を考えているか分からないように見える。

もしや別の場面で、ちゃんと威張り散らしているからバランスが取れているかもしれない。
まるで、「虚勢」と混同しているようだ。

人に会うということは、そこにお金という利が必ず絡んでくる。

変に低姿勢だと「恵んでください」にも見えるし、
相手もきっと期待に応えてくれるだろう、みたいな下心が見える。

次に会ったときなんか、前回よりも態度や口調が変わったりして、
本人は豹変していないつもりでも、ありありと伝わってくるのだ。

 

「謙虚」とは、
学ぶ姿勢がある人のことだ。

学ぶとは、前向きであり、
つまり、攻撃的な姿勢ではないだろうか。

Amazonから到着する段ボール箱が、
商品と比べてかなり突出して大きいときがあって、最近は顕著である。

それを見ると、「あー、時間と戦っているんだなぁ」と、つくづく感心する。
まさに、時間と効率のせめぎ合いの結果だと思うのだ。
会社の売り(尊厳)を死守している。

サービスの提供も、当然、学びだし、
譲れないものを序章する姿は、まさに謙虚である。

第二章、第三章、会うのが楽しみである。

 

P.S.
「嫌われる勇気」という本の表紙を見て、
嫌われることにまで勇気がいることを初めて知った。

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人間Bluetooth。

2016/12/27 0:00

飲み物でも、食べ物でも、
「味に、ちょっと癖があるよね。」なんてキザな言い方をする。
不味くものなく、でも美味しいとも言えない。

「あの人、ちょっと癖があるよね。」なんて、
人の場合にでも使われ、
今まで、味わったことがないという感覚に対して、
皮肉っぽい意味を込めることが、ままあるようだ。

しかし、これが高級な食べ物や文芸品となると、「味わい深いね~」とか、
一流の人が相手だと、「やっぱ、オーラが違うよね~」とか、
勝手に想像して、肯定した目線で語ってしまう。

結局は、傍で見ている人の主観になるのだろう。

 

たとえば、
セットポジションの癖から球種を読むスポーツ上の戦略や、
口癖、体癖12種など、私生活上の仕草から性格を探るなど、いろいろ多用されるが、
そんな空虚な場所ではない。

ヘッドホンのように、
綺麗な音を出す道具も、コードが絡み合うところが不便で、
ほどいて綺麗に畳んでいても、また出すときは絡み合っている。
だけど、重宝する。

癖とは、
放っておいても、勝手に絡み合うナイーブな存在だと思う。

その人のことをどこかほっとけない、余計に虜になってしまう、
そんなスパイス的要因を癖と言うのではないだろうか。

絶妙の一歩手前である。

 

好き嫌いとか、損得勘定だけで、はっきり断定するほうが、
いささか不便な生き方だと思う。

そこが人間の悪い癖だ。

 

P.S.
コードをぐるぐるに束ねると、すぐに壊れてしまう。

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赤の反対は、青か白か、はたまた黒か。

2016/12/26 0:00

「前を向いて歩きなさい!」なんて、
ちょっとよそ見したくらいで、
可哀想に、子どもが怒られている。

しかし、信号待ちでボッーとよそ見して、
後ろの車にクラクションを鳴されるのは、大抵この母親である。

流れに乗っていないことに立腹する人は、
同じようなことで立腹する第三者から、時と場所を変えて怒鳴られる傾向があるようだ。

 

反対に、
三振が続いている選手に「ボールをよく見ろ!」なんてアドバイスする監督なんかは、
ちゃんと集中している人に向かって、
「おまえ、そんなボールも打てないのか?」といった、
やや冷笑的で、失礼な物言いになってしまう。

この場合、何も考えていない人から怒鳴られることで、
今後、もう考えることに拒絶反応を起こす。

学校や会社での集団生活では、こういった負の連鎖が起きるのである。

 

毎日、同じものを見聞きし、同じ顔触れになることで、
かえって見逃すものが増えてくる。

もう同じところにしか、目が向かなくなるのだろう。

新しいものを発見するときは、
凝視より、よそ見だと思うのだ。
だぶん、そっちのほうが辛く苦しいことだ。

敏腕弁護士が、云々唸っている課題に対し、
ふとした素人の助言で、閃くこともある。

それだけ、人は悩んでいるじぶんが大好きで、
その悩みを手放したくないのかもしれない。

そんな姿こそ、散漫で情けないと思う。

 

P.S.
間違いの根源は、悶々同士のコミュニケーション。

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野心とは、十代を捨てることである。

2016/12/25 0:00

高校生ダンス部の公演を観に、会場へ足を運んだ。

30人の女子が踊る姿は、迫力と美しさに魅了される。

昼の部と夜の部、計5時間以上踊り続ける姿は、もう過酷としかいいようがない。
毎年、脱落者が3、4名は出ているという。

 

なるほど幼少期からやっているのか、
ひょうひょうと軽やかに、センターを舞う人もいれば、
中学くらいで習い始めたのか、肩で息をしている人もいる。

真っ白なメイクの裏では、真っ青な表情が待ち受けていることは想像に難くない。

ただ演技中に、「復興支援」だとか、「原爆を忘れない」、
そんな後ろ向きばかりのナレーションで、三部構成になっていた。

ダンスと関係がないし、
踊っているほうも、それどころではないだろう。
「絆」だとか、「仲間」だとか、そんなモチーフは芸術とは言わない。
これを続けていれば、部員が出場条件の30名を割ると思う。

 

集団競技は、幼少期からやっているか否かで歴然とした差が付く。
小学校から大学まで、一番思い出に残るのが、なぜか高校時代だ。

そして問題が、その同窓会である。
結束力が熱いというか、あの輝いていた頃に戻りたいのか、
大人になった今でも、隔年で飲み会の電話がくる。

今は今のスケジュールがあるし、いちいち懐かしむのもどうかと思う。
それに、もう仲間ではない。

街で偶然見かけても、声をかけることはないし、
「へぇ、年とっても変わらないなぁ~」なんて想いながら眺めている。

これからに向かって、
ゼーゼー肩で息をしている青二才のまま、野心をもっていたいのだ。

 

P.S.
マリオのように進んだ画面は、もう戻れない。

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最初はグー。

2016/12/24 0:00

この時期、役所関係に行くと、
「年末で立て込んでいまして~」なんて、
これだけ機械化が進んでも、お決まり文句だけは進化していない。

「来年になりますね~」とかも、
普通に「来月になります」でいいと思うのだが、結構なウキウキ感が垣間見える。

同じ頃、あいさつ回りが活況を呈してくるが、
「今年もいろいろ~」、「よいお年を~」、
年が明ければ、「あけましておめでとう~」なんて、
年を越すことがそんなにも一大イベントなのだろうか。
本来、年末は3月だが、そこはスルー気味である。

 

さて、話はあいさつである。
サラリーマン時代で何が一番辛かったって、社内のあいさつだった。

「あいさつは大事」と、しっかり訓示されていたが、
すれ違うたび、おはよう、おはようって
オウムのようで不自然に感じたものだから、できるだけ隠れていたものだ。

傍からすると、「生意気な奴」なんて思われていただろうけど、
深く接してみると、やっぱり生意気な奴だと思われていた。

副産物としては、別の意味で一目置かれる。

 

ただ相対的にみて、誰にでもあいさつする猛者に限って、あまりうだつが上がらなかったように思う。
ツンッとしている人のほうが、仕事の細部に気が回るし、班のメンバーの足を引っ張ることも無かった。

確かに、あいさつは大事だろうけど、
大晦日のカウントダウンみたいに、絶対にするものでもないだろう。

むしろ大事なのは、トーンだ。
場の空気で変えたり、相手の表情を察してスルーしてもいい。

スポーツみたいに、しっかり相手の目を見て、同時にやるのが自然だし、
そっちのほうが本気で声が出る。

畏怖の念というか、尊敬から込み上げてきた言葉こそ、あいさつだと思うのだ。

 

P.S.
108回同僚にズルいと思われたら、ごぼう抜きで出世する。

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この世は、ランナー図。

2016/12/23 0:00

学生のマラソン大会を観察していると、面白い。
トップを独走している人は、周りの声援がじぶんだけに降り注いでいるかのように、爽やかな表情をしている。

一方、遅れを取っている人たちはというと、
演技ですか?と突っ込まれんばかりの疲れ切った表情で、
それどころじゃないといった感じだ。

「あー、頑張って!」なんて声援されても、最初の「あー」が悲観的だし、走っている本人にも、ちゃんとそこは敏感に届いているものだ。

 

たとえば、高級車の車内なんかは、静かで快適だから、
高速でも、遠くに臨む景色を美しいと感じさせてくれる。

これがタイヤ接地音、風切り音が激しい安価な車だと、
そうはいかないだろうし、標識さえ意識が向かなくなる。

感情的になると、
聞こえなくていいものまで、聞こえてくるということだろう。

だから、普段の生活でも、
調子が悪いと感じたときなんかは、
テレビや新聞など、情報の騒音を遮断したほうがいいと思うのだ。

 

マラソンって、一塊が一斉にスタートしても、
終盤の先頭付近は、ちゃんとバラバラに差が開いている。

遠巻きに見て、左にポツポツと流れている姿が、
句読点「、」と「。」のようで、綺麗な文章のようだ。

最後尾付近は、ごちゃごちゃで、ただの乱文である。
なのに、ニタニタしているから完全な開き直りだろう。

それがどこか、この世の論理的な姿だとさえ思ってしまう。

まぁ、そんな感じで、
感情を排すると、見たくないものまで見えてくるのである。

 

P.S.
中途半端な順位ほど、ゴールして倒れ込む演技力。

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顔は二つ三つ、あったほうがいい。

2016/12/22 0:00

「あの人、ウラ表あるよね。」なんて、陰口の常套句がある。
陰で言わずに、本人に面と向かって言えば、陽口(ひぐち)にでもなるのだろうか。

たまに実名のSNS上で、姑(しゅうとめ)さんの悪口を綴っている記事を見かけるが、これなんかは、ただの口軽である。

 

まぁどの人も、「素直なんだなぁ」と思う。
素直な人ほど、陰口をたたくものだ。

「人前で、他人さまの悪口を言わない!」なんて教えられるが、
しかし、我慢して押し殺している人のほうが不気味だ。

そこにいない他人を褒めちぎる良口パターンもあるが、
目の前の人を無理に頷かせるしたたかさで、質が悪い。

 

こういった駆け引きが、顔なしにさえ見える。
服でいうと、裏地が安物の人なのだ。

だから、チラッとでも見えそうになったら、大きな失言をやらかす。

そこは、裏地まで高級な素材で仕立てたダブルフェイスがいいだろう。
ちゃんと、じぶんの肌触りも考えながら喋れるということだ。

言うときは言うし、ある時はピタッと言わない、
そんな、リバーシブル的存在でもある。

 

普段から言葉が直球な人ほど、
言ってはいけないことを重々把握している人だ。

辛口を食べ尽くしているから、
より甘口を知っているのである。

言葉を一旦飲み込むのもいいけど、
頭にきたら言うだけ言って嫌われたほうが、スッキリするのではないだろうか。

だから、口頭というのだろう。

 

P.S.
政治家が心理戦? 素直過ぎて、分かり易いんですけど。

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