Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

月別: 2016年11月

インドカレーのナンの難題。

2016/11/30 0:00

古民家を再生させた、そこはインドカレー店だった。
どこにでもある集落に紛れているから、気を緩めると見逃してしまう佇まい。

インド人シェフと日本人オーナーが切り盛りするお店で、
くつを脱いで、和風のリビングに食卓テーブルだから、
まるで親戚の家にでも、遊びに来た感覚である。

次々とお客が入ってくるのを見て、
よくこの場所が分かるなぁ、なんて感心しながら、
そこにいるみんなが、なんとなく遠い親戚に見える不思議な空間である。

 

さて、
じぶんはあまりご飯を食べないから、選択肢はナンである。

両手で少しずつちぎりながら、ルーに付けて、
豚足でも食べているかのように、みんな揃って手が上を向いている。

インド人は、両手を使うから頭がいいのか!なんて思っていたら、
映画『奇蹟がくれた数式』のインド人は、思いっきり利き手だけで食べていた。
しかもライスだ。

ただ、直に触れることで、食事に集中できる。
ゆっくり咀嚼して、腹八分にし、そしてまた数学公式を考える、
そんな国にも見えた。

 

一つ一つちぎっていく所作は、
今まで捨てられなかった大事な手紙とか、
資料を破っていく感じに似ている。

 

破りながら、吸収できるのだ。

 

したがって、一枚のナンを二度食べたことになる。
気を緩めると、たぶん完食できない。

「ナンのおかわりできますよ~」なんて、
気さくに声をかけたてくれたオーナーだけど、
「いや、大丈夫です」みたい感じで返したら、
ナーンだ、みたいな顔に見えなくもなかったのである。

 

P.S.
次回行くとき、マイ箸は要らないけど、マイスリッパがいる。

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頭のゴールド免許。

2016/11/29 0:00

キッズドライビングスクールという、
自動車学校さながらのつくりで、
子どもがゴールド免許を取得できるというテーマパークがある。

ある子どもが、
意気揚々と、免許証の自宅住所を読み上げている。
「・・おおじ?」

横にいる親がこれでもかって言うぐらいに大きな声で、
「おおあざ!!」
夫婦でハモった容赦ないツッコミである。

 

可哀想に、子どもが「あー」なんていって、テンションが下がってしまった。

 

他の子どもにだったら、「まんま読んでしまうよね~」とか、
外国人には、「日本語お上手ですね~」なんて配慮ができただろうに。

で、これを他の大人にやらかしてしまった日には、
不気味な笑顔で、揚げ足の機会をうかがう、
しょうもない、やり取りが繰り広げられるのである。

 

アメリカの銃社会が、
誰と会っても銃を持っているという前提が成り立っているように、
みんなもある程度の知識を持っている。

だから、知識という玉数をたくさん持っていれば、
それだけ有利だ、みたいな感じなのだろう。

でも実際、銃は凄みを醸し出すためで、
攻撃や威嚇の概念はないし、
軍以外の一般市民が、玉数をひけらかさない。

 

持っているものをどれだけ磨いているかである。

 

名刺の肩書欄に、国家資格で威嚇するより、
「ゴールド免許取得者」を記してみてはどうだろうか。

普段、車に乗っている人からすると、
そう簡単に取れるものではないし、
話のネタとして営業トークを磨くことができる。

 

P.S.
脳みそも寒くなると、粉をふく。

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アイマイミーマインな発見。

2016/11/28 0:00

パスタが大好きで、
週に一度は、どこかで食べている。

たくさんある種類のなかで、
クリーム系しか食べない。
しかも量1.5倍。

今まで当たり前のように食べていたところ、
初めて入ったパスタ店の亭主から、
「男性でクリーム系は、珍しいですね。」と話しかけられた。

最初、会話のとっかかり程度かなと思っていたけれど、
「お腹に溜まるでしょ。僕はあれがダメなんですよ~」と、
本気で、そのことを伝えたかったらしい。

ダメだと思いながら作られたものを、
食べるじぶんはどうなんだと思いながらも、
新しい発見に出会えたわけである。

 

しかもそれに、牛乳が入っていることすら知らなかった。
牛乳が嫌いなはずなのに。

栗が嫌いなのに、
モンブランは大好きとか、
トマトが嫌いなのに、
トマトジュースは大好きだったり。

味というよりも、
そのときの姿形で、好き嫌いを判断しているわけである。

嫌いなものに、別のものを融合しても、大好きになる。

 

今まで、苦手にしていた相手が、
なにかのきっかけで、「意外といい人ね」なんて思ったりするように、
好き嫌いほど、当てにならないものはないと痛感してしまう。

そのきっかけは、特にこれといって断定できないけど、
渋柿を干すと甘くなるように、
時間の経過とか、外部の都合などの反応で、ふと変化するのだろう。

感情を排するというより、
感情に対して、むしろ曖昧なほうがいい。

嫌味も愛情表現というのも、分かる気がするのだ。

 

P.S.
善悪も、「時代」という配合の問題。

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enjoy every moment.(全ての瞬間を楽しむ)

2016/11/27 0:00

小学生くらいの時期、歯が生え変わる。
歯がグラグラしだして、じぶんで抜く瞬間が楽しかった。

なので今は、
とうもろこしを歯に見立てて、一粒一粒、丁寧に取りながら食べている。

豪快にかぶりつく人からすると、
ちびちび時間だけかかって大そうに感じるけど、最初に縦二列だけ取ったら、
あとは、親指の腹でボロボロまとめて取れていくから、これがまたいい感じである。

よくBBQで出てくる輪切りのものや、
始めから粒になった缶詰なんかは、もうつまらないのである。

 

抜けた子どもの歯は、ティアラのような形で、
こんなものがよく、くっついていたなぁと思うのだが、
元々、歯茎に埋まっている神経の二本部分は、発光ダイオードのように長い。

それを次にスタンバっている大人の歯が、少しずつ溶かしているというのだ。
歯医者さんで抜いてもらったら、大人の二倍あるからびっくりである。

 

歯も芸術だ。

出来上がったものだけを見るより、
過程を知るほうが面白いときがある。

皮切りとか切り口なんて言い方をするが、
元々、見えている具体的な形を言葉という鋭い包丁で、
かっこよく表現したものもある。

それを感動だと。

 

でも、そういうものではなくて、
むしろ分かり易い物を一つ一つ取っ払っていき、
漠然とした自然形のほうが感慨深い。

とうもろこしが差し歯になれば面白いなぁ、なんて想像しながら。

なにせ芸術は、爆発(ポップコーン)だから。

 

P.S.
「親知らず」より、「子知らず」のほうが正しい気がする。

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おつりの出ない金券みたいな人。

2016/11/26 0:00

自販機や、割と小さい商店のレジなんかは、
「只今、お釣りが不足しております。」の表示がある。

「1万円札、5千円札お断り」みたいに、
もっと、きっぱりした言い方もあるが、
これも、本音の一歩手前だろう。

要するに、「ちょっきり出せ」である。

 

たとえば、タクシーの会計で、
1万円札を出した女性のお客に、近くのお店まで両替に走らせた珍事を聞いたら、
たぶん、ドライバーに目くじらを立てると思う。

しかし、祭りの的屋で恐そうなおいちゃんには、きっと1万円は出さない。
みんな場面を読んでいないようで、しっかり読んでいて、
お金に関してだけ、消費者はじぶんの都合なのだ。

ふだんから、3千円を超える会計に万札を出す癖があれば、
不足の憂き目に遭うことはなくなる。

 

「この会話は、サービス向上のため、録音させていただきます」の
自動音声だって、わざわざ録音していることを知らせているのだから、
本音では、「いろいろ言うな」である。

でも、この音声を聞いた人は、
きっと、じぶんの話をまとめてから話そうと思うはずだ。

 

要点の分からない話は、
お釣りさえ返せないのである。

 

284円の買い物で1万円は、計算するだけもややこしい。

確かに、時間はマネーだ。
一見、高そうに見えるせっかちな会話もあれば、
相手の体調を気遣う、両替のような、たわいない会話も存在するのである。

 

P.S.
お釣りとは、「釣り合い」のこと。

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トイレはどんどん浅くなっている。

2016/11/25 0:00

今の義務教育で「改善しなくていい」部分と問われたら、
まず最初にトレイと断言できる。

児童(生徒)用トイレは、毎日が波乱万丈だった。

今はもっと凄い。

便器がほぼ流れていないのだ。
男子トイレだと、2つ中2つ流れていない。

きっと外国人が見たら、それが日本文化だと勘違いするに違いない。

ある時は「トイレの花子さん」、ある時は「トイレの神様」、
小学低学年にとったら、もうよく分からない不思議な場所なのだ。

 

カバティというスポーツがある。

どっかの国のスポーツで、
一呼吸だけで「カバティ、カバティ・・」を言い続けながら、
逃げ回る人たちにタッチするルール。

高校時代、文化祭の美術出展で、それの3Dを作ったら、
その当時まったく認知されておらず、不評だった。
知らない人には、ただの鬼ごっこに見えたらしい。

でも、不評だったからこそ、
面白かったのだ。

「ん~?」っていう怪訝な顔で見ている生徒を見るのが、とても楽しかった。

 

今の飲食店やホテルのトイレは、
清掃済みボードが備えられていて、いつも綺麗にされている。

 

でも、不思議さがない。

 

綺麗が当たり前になれば、ちょっと汚いだけで苦痛になる。
見栄えや機能の向上は好ましいことではあるけど、
学校は、今のままで清潔さを求めたほうがいい。

鼻をつまんで、カバティ清掃するのもまた面白いと思うのだ。

 

P.S.
「もう一歩前進」を「もう一歩後退」にしたら、男性はどんな顔をするだろうか。

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不都合な進化。

2016/11/24 0:00

ドアの建付けで「調子が悪い」ときなんか、
具体的にどこが不具合か、原因を探るわけだ。

この言い回しは、
人の体調についても、よく使う言葉である。

男性はまだ、こんな抽象的表現に不慣れなところがあって、
それは先祖、狩猟中にケガをして、
「調子が悪いです」みたいなことを言ったら、
仲間に、ほったらかされた苦い経験があるためだと思う。

でも今は、
気合いだけでは、どうにもならない時代になったのだ。

 

むかしはテレビの映りが悪いと、叩けば直っていた。
それは単に複雑だったからだ。

今の液晶テレビは、叩くにしても薄すぎて難しい。

叩かなくても、うしろを開けると、
電源とメインの、たった二つの基盤があり、
修理というより交換だけで、簡単に直るのだ。

あの鮮明な映像は、
触れることのないハンダづけの網羅が、映し出している。

 

進化とは、
具体と抽象の分離だ。

 

本質の分かる人だけが分かっていればいい。
つまりそれは、じぶんだけが分かっていればいいことになる。

そうしていつか、「調子のいい」人たちで溢れかえるのである。

 

P.S.
「何がいい?」
「なんでもいい」の曖昧な人ほど、後でやたら細かい。

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勿体ない産声たち。

2016/11/23 0:00

小中学生の学習発表会なんか、
体育館でやるから、うしろの保護者に聞こえるよう生徒は大きな声を出す。

ただ、何と言っているかよく分からなくて、
本人たちも、先生にそう張り上げるよう教わっているようだ。

 

背中を思いっきりのけ反らせ、最初と語尾だけ強く伸ばして、
大きな声のつもりになっているだけなのだ。

「ぼくたちは」のところが、「ぼー!、んはー!」。

号令じゃあるいまいし、細かく伝えることが目的なので、
せっかくの場面なのに、勿体ない。

 

青空の下、
広いフィールドで球技をやっていた先生なら分かると思うのだが、
離れた仲間に伝達できて、敵チームに聞こえないような声は、
大きさよりも、高さが重要になる。

女性の声質に近い選手が指示を出して、
しかも、優しくしゃべってもらうだけでいい。

 

背中を猫のように丸めて。

 

それでお腹から声を出すと、仲間に届いた後は自然と失速する。
のけ反っては、そんな芸当はできないのだ。

高校時代、容姿も声質も歌手GAOと瓜二つの先輩がいたが、
あまりにもよく聞こえすぎて、ため息まで色っぽく伝わった。

「ウフ~ン。」

引退するとき、ぜひ「サヨナラ」を歌ってほしかったくらいだった。

これだと、
体育館やコンサート会場でも、変に反響せず、
観客にも優しいと思うのだ。

いかがでしょうか。先生。

 

P.S.
発声練習は、まずラララから。

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果報は寝て待てない。

2016/11/22 0:00

ふだんテレビはまったく観ないけど、
たまに観たくなるローカル番組が一つだけある。

その放送中に、
地方の酒蔵が出てくると、
そこの亭主は、大抵よくしゃべるのだ。

原料や製法とかを解説されても、まったく興味ないんだけど、
画面の向こうで、華丸の聞いているようで、まったく聞いていない顔が、とても嬉しい。

 

また、亭主の「このお酒は、うちだけです!」という、
お決まりコメントが必ず出てくるけど、
企業なのに、その言葉に違和感を持たない経営センスに、びっくりする。

公共の電波で、家訓は「酒と女は2合(号)まで」で笑いを取っていたが、
うしろで見ていた奥さんと娘に、
「酒蔵と亭主は、2代(荷台)で十分」と内心見下されていたりして。

 

受け継がれた技術とか、洗練された技法とか、
何年も寝かせているから独自のまろやかさだ、みたいな話である。

熟成しているのは、ひたすらお酒のほうなのに。

アルコールさえ入っていれば、
誰でも酔えるし、呑んだぶん、お酒に時間を奪われる気がするのだ。

「こだわり」とは、
じぶんにどれだけ酔いしれたかの差異を言うのではなかろうか。

 

その時間は、
紛れもなくじぶんの熟成である。

 

そういえば、横になってテレビを観ていると、
部屋が適温でも、上から軽くタオルケットを掛けたくなる。

お酒も、テレビも、
体温を奪われるということか。

どうやら、どちらも温暖効果としては、
効いているようで、まったく効いていないようだ。

 

P.S.
「なんしようと?」は、じぶんを戒める言葉だった。

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心のマスク。

2016/11/21 0:00

式典の始めのあいさつで、
「風邪を引きました、みんなに移ってはいけないので。」と断って、
お偉いさんが、マスクのままあいさつをしている。

顔がよく分からないから、
通りすがりのおっちゃんが話しているようにも見える。

 

最近は、
元気なのに一年中マスクをしている小中学生もいる。

前髪を長く伸ばしたり、
目も悪くないにメガネをしたり、
顔というより「心のメガネ」をかけているわけだ。

まぁ、この人たちはいつかの目立ちたがり屋さんである。

 

一方、違う隠し方もある。

何のアピールか知らないが、
高級ホテルやシケた札束画像をSNS上にアップする人。

目的不明の仲間たちと、
高級店で笑って乾杯している輩もそうだ。

要するに、持っていないのだ。

持っていないのに持っているフリが、
見苦しいし、かえって目立ってしまう。

 

しかし、
心だけは、無くなることはない。

枯れたり、見失うことがあって、
それを言葉で表現できないとき、つい隠したくなる。

 

持っているものを隠すのは、
保湿の合図である。

 

潤うまで、好きなだけマスクをしていたらいいと思うのだ。

 

P.S.
持っていないフリは、「強さ」がにじみ出る。

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1...最後
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