Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

数歩の気づき。

2017/04/10 0:00

家やお城の「基礎」というと、どこかガッチリしたイメージがある。
なのに、勉強の「基礎」となると、どこかすっぽん軽いイメージがあるのだ。

誰しも、「勉強は基礎が大事」と口々にしても、「家は基礎が大事」なんてイチイチ言わない。
後者は、重々承知だし、前者はあまりにも連呼され過ぎて、ありきたりのセリフとして風化されてしまったのだろう。精神的な面と、物理的な面、実際目で確認できるぶん、後者が圧勝といったところだ。

さて、小学校の授業内容が話題になったときに、「え?もうそんなところを勉強しているの?」なんて、よく思うときがある。
自分は国語がさっぱりだったから、「『スーホの白い馬』って、いい話よね」なんて話しかけられても、SUUMOしか頭に浮かばなかった。
他にも、本を買って読む世界だと思っていたことが、実はあっさりと小学校で学んでいたというわけだ。だからって、「やっぱり基礎は大事なぁ~」なんて思わない。むしろ、「まだまだ面白い話がたくさんあるんだ」と、ルンルン気分になる。

スポーツでもそうだが「今更、基礎なんて~」と蔑視するというよりは、そもそも基礎が何かが分かっていないのではないか。

仮に、家の基礎に欠陥・瑕疵があれば、やり直しを命じることができる。
戸建てであれば、ベタ基礎、マンションであれば、杭基礎のやり直しだ。
でもやり直すのは、自分ではなく施工業者である。

しかし、勉強やスポーツに関しては、自分でやり直しをしなければならない。
もし20、30代であれば「アパート構造」で、40、50代だと「マンション構造」で、60、70代だと「よろこんで」だ。
そのときまではヤワな土台であろうと、かろうじて建っていた状態なのだから、基礎からやり直しなさいと言われても、いまいち腑に落ちないだろう。

一方、いくら基礎だけ固くても、建物の具材がなければ、相撲の土俵みたいだ。この具材というのが、つまり「創造」の分野になるだろう。

だから基礎は学ぶというより、創造しながら気付くものだと思っている。
つまり、生涯ずっと基礎だ。
西暦2017年までが人類の基礎だし、永久に基礎だろう。
それは、上から砂を垂らして、山すそを拡げるイメージである。
あとは涙で固め、悔しさで深化すればいい。

むろん、小学生の勉強は大事だ。
そしてもっと大事なのは、初心である。
ちゃんと山の真上から、砂を落としているかどうか。初心に帰るというは、そういうことだと思う。
ズレの気付きから、「築き」が生まれるということだ。

 

P.S.
ちなみに世界一高い山は、海の中にある。(by 小学生の授業)

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