Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

甲斐花宣言。

2017/04/09 0:00

桜がすっかり咲き乱れている。あとは散るだけだ。
駐車場の目立たない隅のほうで先陣を切ってほころんだ、今年初の桜を見てから、随分経った。
そのときは感激だったけれど、「もう少し遅ければ、他の桜たちと一緒に咲けたのになぁ」なんて余計なお世話にふけっていたものだ。

寒暖の差もあるから、花見そのものをやろうと日本中を駆け巡れば、機会は確保できる。
それはまるで、受験日が異なった大学を津々浦々と何十校も受験するかのように。

早咲きは、推薦入学が早々に決まった人になるのだろうか。
ちょうど今、絢爛に咲く桜は、志望校に無事入学していく人のようだ。
一方、まばらに咲いたまま、あっさり儚く散るのは、幾分不満のある入学だったのだろうか。
雨が降ったくらいで、軟弱に散るものいれば、酔っ払いにビールを掛けられても、豪胆に咲いているものいる。

中には咲くのが極端に遅い種類だっている。
「あっ、まだ桜があるー」なんて、一応は喜んではもらえても、漏れる言葉には「まだ」が付くのだ。まるで、あからさまに残業をアピールしている人や、言い訳している新入社員にも見えなくもない。

まぁだからこそ、桜がこよなく愛されるのであり、普段、花に興味がない人であっても、桜にだけは心を揺さぶられるのだ。
それはどこか人間と似ているからだろう。

今年、近所の庭で、毎年咲くはずの桜がまったく咲いていないのを見かけた。
自分を柿の木と間違えているではないかというくらいに、ひっそりとしている。
もしかすると桜界にも、付き合いというものがあって、毎年渋々咲いている節があったのではないか。今年はさすがに嫌気が差したのかもしれないし、留年中かもしれない。

でも、これがまたいいのだ。
タイミングというものがあるだろうし、虎視眈々と休眠する時期があって必要だろう。
人間界にだって、ときには裏切っていい事柄があるのだから。
それは自分を大切にしているという証であり、甲斐性でもある。一貫性のない自分を含めて愛されるべきなのだ。

情に流されず、周囲に合わせることもなく、ときには、パッと心の中だけで弾ける勇気も必要だ。
絢爛豪華もいいけど、質実剛健もいい。そのギャップこそ、まさに勇ましい。
来年はパッと咲いて、さっと緑の葉をつけることだろう。

 

P.S.
「こんど、菫(すみれ)の『アイス』が始まりますよ~」
どれだけ別のメニューで裏切っても、菫しか飲まない人だと思われている。

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