会話する相手が、それなりの身なりで、丁寧な言葉遣い、仮にちゃんと名刺を渡されても、一発でアウトというときがある。
耳のピアスの痕だ。
個人的な主観なので、まったく気にしない人もいるだろう。
が、こうして文章にするだけでも、「跡」ではなく、「痕」という字を使ったほうが適切なほどに、それはけして微笑ましいことではない。
女性ならまだしも、男性のいい大人でその跡があると、何を話しかけられても、全く耳に入ってこないのだ。それはだぶん、嫌悪するというよりは、「あっ、この人は耳が要らなかったんだな」と思ってしまうからだろう。
もし口にピアスの痕があれば、「あっ、この人は口が要らなかったんだな」と思い、こちらからは何もしゃべることはない。
もし鼻ピアスであれば、「あっ、鼻が要らなかったんだな」と思い、口だけで呼吸するだろう。
髪だって、白髪隠し以外の理由で染めていれば「髪が要らなかったんだな」と思われ、禿げている相手だと反感まで買われるだろう。
それでも一応は、その場に居合わせる相手の容姿や立ち居振る舞いを真似してあげようとは思うものだ。
いや、もしかすると、その人も違う誰かの真似をしている最中なのかもしれない。
たとえば、映画『インサイド・ヘッド』のキャラクターの5人、『ヨロコビ』、『イカリ』、『ムカムカ』、『ビビリ』、『カナシミ』たちの肌や髪の色が、各自一色なのに対し、主人公『ヨロコビ』だけは、髪の毛だけがなぜかブルーで、体の黄色と異にしていた。
上映中、なぜなのか気になりつつ、最後までそれには一切触れないから余計に気になって仕方なかったが、つまりそういうことだと思う。
相手に気付かれないよう同化した「優しさの跡」だ。
『カナシミ』は全身ブルーだったから、それを見た『ヨロコビ』は、せめて髪の色だけでも、真似して分かち合うとしたのではないだろうか。うまくは伝わらなかったが、それでもなんとか励まそうとした。しかし『カナシミ』のほうは、それに最後の最後まで、気付くことはない。
おそらく『ヨロコビ』がいなくなった後に、ようやく気付くのだ。
すると、今度は『カナシミ』の体が『ヨロコビ』に一転するのだろう。もちろん色だって黄色に変われる。
あらゆる生物は、この同化のリレーだと思う。
残念なことは、お礼を言いたくてもその相手は、きまって仲違いした後か、既にこの世にいないということだ。
7年前の星の光が地球に届くころには、既にその星は存在しないみたいな話で、微笑ましいけれども切なくもある。つまり喜びと悲しみは、対の関係なのだろう。
ひっきょう、「跡」も「痕」も対なのかもしれない。
P.S.
弟子が師匠の風貌や仕草をあからさまに真似するのに対し、
師匠は、そっと一つ弟子の欠点を真似をしてあげている。