Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

セオリーロボット。

2017/04/05 0:00

携帯電話ショップの店先では、白いロボットがあいさつをしてくるようになった。今では、アパレルショップやお好み焼き屋など、いろんな店舗にもいたりする。

しゃべりながら首を振るロボットが、胸にスマホを付けているだけにしか見えないが、子どもは物珍しがってはしゃぎ、親子で触れあっている姿を目にすると、客寄せパンダ的な存在ではあるのだろう。

ただ、ロボットの位置づけがよく分からない。
いくら「感情を持つロボット」と銘打っても、これが本当に、ん十年後には人間的対応を代替できるかは未知数だ。こぞって20万円前後の小型ロボットも出ているが、家庭に一台あると変に家族の情が移り、旦那さまへの情は軽薄になるばかりだろう。アイボだって、生産が終了したときは物議を醸したくらいだ。

それよりも、今の人間のほうがロボットに近いのではないだろうか。
雑貨店などのスタッフが、脳天から尽き出たような声で「どうぞ、ご覧くださいませ~」と、お客さまと目を合わさないで、ロボットのように連呼し、飲食店でも、ロボットのようなサービスしかできないスタッフもいる。

先日、温水器の修理を依頼したときなんか、最初に型番を伝えているのに、管理会社の担当が代わる度、型番を聞いてくるから、リセットされたロボットのようだった。「これが私の対応です」とか、「私が最初から事情をお伺いします」という強い我欲を持つロボットなのだ。裁判官の「ここは私の法廷です」という発言に近い。
それだと、もう感情を持ったロボットとして人間サイドが代替しているではないか。常に進化と便利を求めるだけの生身ロボットだ。

 

実は、本物のロボットとは、既にいっしょに生活している。
それは、もう一人の自分を体系化したものだ。
たとえば、よく音楽アーティストのプロモーションビデオに出てくるようなロボットである。多くを語らず、カフェして、ダンスして、いっしょに過ごす楽しい日々だ。

心の中だけで、「問いかけ」と「応答」の一人二役をこなす姿である。つまりそれが自分自身の定位置だろう。

昔、駄菓子屋の店先にあったガチャガチャを思い出す。
小学校時代の登校中は、朝いつも「いってらっしゃい」と声をかけてきてくれたから、「いってきます」と返していた。

「今日テストだね」
「そんなの知らんよ」

「今日は家庭科があるね」
「あっ、裁縫道具忘れた!」

魂(soul)を吹きかけて擬人化できれば、すべてがオンリーロボットだ。
まさに、SFの世界なのである。

 

P.S.
セカンドランナーがサインを盗んだからといって、わざわざタイムをかけてまで注意する主審は、ただの生身ロボット。

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