Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

チャンス日和。

2017/03/31 0:00

陽気な春の空が、ぽかぽかと一年ぶりに広がっている。
さすがにこんな日は、バスタオルをベランダに干さないわけにはいかない。事務所移転や結婚式のあいさつ状は何年ぶりだろうと無視できるが、春陽のあいさつは無視できないものだ。動植物がこの時期、長い冬眠から目を覚めてしまうのも無理はない。

自然の力を潤沢に浴びたそのバスタオルをそっと顔に当てると、スッーと吸い込まれるような不思議な感覚だ。
でも、これと似たシチュエーションをどこかでも感じたことがあるように思えた。

本屋である。
あのインク刷りたてのような香り。
それは、天日干した洗濯物をさらにピシャッとアイロン掛けして整然と並んでいるような。一冊の本を手に取り、極薄ミルフィーユの束が自らの力で開かれるとき、香りが薫りとなって、自分の顔を物理的に誘惑してくる。

さて先日、付き添いで図書館に行くことがあった。
久しく図書館に来ていなかったが、館内を目の当たりにして、びっくりしたものだ。こんなにまで貧相だったのかと改めて痛感してしまったのだ。

それは、一週間以上履き続け、脱衣所で脱ぎ散らかしたら、犬が玄関までくわえて運んだ靴下のようだった。
図書館で働いている人には申し訳ないが、そこはとても神秘の空間には程遠い。
本に触れようという気にさえなれないものだ。

ただ、図書館がイケないということではない。めちゃくちゃイケないと言っているのだ。
もはや、小学生の見学会とか、文献探しくらいにしか、資することがないのではないかとまで思ってしまう。

本屋さんとどこが違うのだろうか。
著者の知恵をタダで読みまわすことがズルいといったことよりも、図書館だとどれだけ長居しても、もよおさないからだろう。つまり、チャンスの有無だ。

本屋だと襲われるその感覚は、何かのメッセージであり、
「トイレに行く次いでに、今手に持っている本を買って、さっさと帰りなさい」という意味だと自分は思っている。もし、何も持っていない場合は、気付かずに通り過ぎたのだから「また来なさい」だ。

つまりチャンスは何気ない一瞬のみということではないだろうか。
著者が誰であるとか関係なく、もうそこは雰囲気とか、直感の類になる。

先日、猛烈にそれを感じた本があった。買って家に置くと、二、三日も経てば家の匂いに馴染んでしまう。しかもそれが、自分が絶対に読むことのない小説だったのが残念で仕方がない。
恐る恐る読んでいくにつれ、不思議な感覚に襲われたのだ。
天日干しされたバスタオルのように。そして吸い込まれるように。

タイトルは、『騎士団長殺し』だった。著者に名前に「春」がついていた。

 

P.S.
新品の薫りは、次に読了した本人から放たれる。

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