Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

飽くなきワンパターン。

2017/03/28 0:00

「え、ウソ!」
連れが、びっくりするような声で、新聞の四コマ漫画が連載終了になると嘆いていた。この漫画からどれだけの勇気をもらったか分からない、と涙で湿ったような声で訴える。
ふだんは、「今日のは、くだらん」とか、「いつも、ワンパターンやね」なんて、コテンパンに批評していたのに、いざ終了となると急に残念がるのが不可解だ。

ラジオにしてもそうである。
一年間、何気なく聴いていた番組のパーソナリティが、唐突に「今日でお別れです」なんて電波の向こうから聞こえようものなら、「え、ウソ!」なんて一転する。ファンの中には嗚咽する人までいるかもしれない。

しかし、予告されるだけまだマシというものだ。
不幸が、突然に訪れた場合はどうだろ。
朝、あれだけ元気な顔で「行ってきまーす」と出かけた子どもが、予期せぬ不幸に見舞われる。親は途方に暮れ、もし事前に察知できたなら、出かけるのをどうにか静止できたのにと、次第に己を恨み、せめてパンツの予備を持たせてあげていたらと後悔する。そうすれば、さっき子どもから「もらしちゃった~」と電話が入っても、「え、ウソ!」なんて動揺することはなかったはずだ。

何かの本で、ホメオスタシスという言葉を見たことがあるが、自分の中で定着していた恒常的な流れに、ふと変化の圧力が加わると、人は動転するという。

とはいえ、自分の流れが一定で、それを取り巻く環境の変化まで乏しければ、これはこれでいずれ飽きるのだ。住む場所や、仕事、趣味など自分の生き方について、人は飽和を嫌い、常に刺激を求めている生き物といえる。

たとえば、博打で、今日負けると明らかに予見できても、「いーや、自分の運はちょっと人並外れている」と言って挑戦し、かなりの高確率で大金を失う結果になるだろう。
親から進路を反対されている高校生が、「いーや、自分で決めた大学に行く!」と言って聞かずに決意を固めても、かなりの高確率でとんでもない会社に就職するだろう。
でも、結果はどうであれ、納得はするはずだ。

新しいものに触れ、新しい世界を渇望し、自分の選んだ誤りが一番楽しいのだ。つまり、純粋に自転していたいからだ。
自分の中で常に変化していれば、いちいち外部のひょんな圧力に憂えなくていい。

先のラジオで、パーソナリティが最後にこう言った。
「次回から新番組は〇〇。そのパーソナリティは、私でーす!」

 

P.S.
同じ「え、ウソ!」でも、喜怒哀楽の四パターン。
でも、自転していれば、「楽」のワンパターン。

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