Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

アマ麹(こうじ)。

2017/03/21 0:00

「ブログは、読書にとって有益な情報を書きましょう」なんてアドバイスをよく見る。
しかし、「読者にとって」といっても、その読書がどんな層でどこの誰なのかも分からないし、ましてや自分自身のこともよく分からないのだ。
「有益」といっても、「近所のコンビニで、おにぎり100円セールが始まりました!」くらいのものしか書けないのだ。ご飯を食べない人からすると、どうでもいい内容である。

弁護士の法律相談、税理士の税務相談など、高度なことを仕事にしている人たちだったら、ちょっとした経験の味付けで立派な記事になってしまう。
「今日は、債務者の自宅に向かいました。しかし、そこには住んでいなかったのです。この場合、弁護士である我々は、法を駆使して、な、な、なんと、公示送達(こうじそうたつ)を申し立てたのでした。公示送達とは、意思表示の110番と呼ばれる措置で、民事訴訟法110条にその要件が書かれています。これでホッとしました。夜、私は、コンビニでおでん(全品70円均一)と甘酒を慎ましく買って、700円以上の買い物で一回引けるくじは、毅然と無視して帰途につきました。(おでんの写真添付)-おわり-」

仕事をお題にできる人は羨ましい限りである。
とはいえ、法律を必要としている読者にとっても、これを見て「そうか!」とその場では思っても、結局、その後にまた別の問題が浮上し、右往左往するのは目に見えている。この場合、部分的な有益さより、相談事全体に対して、ズバッと最適な手段を求めたほうがいいだろう。それでもその余は、やはり自分で考えるべきなのだ。

いろんな書籍にも、「ネットの普及で、誰しもが戯言を発信できる時代になった」とあって、これが災いしたのか、ことさら内容重視が叫ばれるようになった。
しかし、そんなに有益な情報が大切だろうか。

喫茶店に行ってみるといい。
あそこの営業マン二人組が向かい合って珈琲を飲んでいるかと思いきや、暇さえあればスマホのメールチェックを大忙しだ。
こっちの若いカップル男女は、向かい合って愛を語り合っているかと思いきや、スマホアプリでハムスターと語り合っているのだ。
大切な相手を目の前にしていながら、建設的な情報交換ができないでいる人たちが、ネット上でできるわけがない。
でもまぁ、それはそれでいいじゃないかと思う。

人は時と場所問わず、絶えず人の温もりを欲しているのだ。
つまりそれが無益さだろう。
有益が、「~ために」であるのに対して、無益は、「~おかげ」である。
むろん自分自身にとっても、無益でありたい。正直でありたい。

泣きたいときは、喚いて、ウダウダ叫べばいい。
それが今のその人にとって、最適な手段なのだから。

 

P.S.
記事が書けたら、自分に「ありがとう」。

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