Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

疲労乾杯。

2017/03/20 0:00

パソコンはどんどん進化を遂げ、コンパクトになっている。
先日、ノートパソコン売り場に新型を見に行ったときも、「指の疲れを軽減できるキーボード」という文句で陳列されていた。

今までタイピングしたくらいで、指が疲れるという感覚になったことはない。むしろ、そんなヤワな指になってみたいものだ。

そんな誇大に謳ったパソコンには、毅然とそっぽ向き、ただ、購入の決定打にならなくとも、判断材料になることは確かで、判断材料の決定打にならなくとも、お試し感覚になることは確かで、お試しの上、悩んだ末、結局、決定打となり買ってしまった。

指にとって、いいご時世になったものだ。
しかし実際、作成中の資料の締め切り期限が翌日であったら、そんな段ではないだろう。ボタンがイボのように固かろうと、ボタン花だろうと打ち続けるはずである。

「長時間でも疲れないイス」だって、イスの上に立っていれば疲れるだろうし、本来、座れることだけでも有難いことだ。
イスの裏に記載された体重制限を、一つ一つ確認してしまう太った人のほうが疲れているはずである。
プロゴルフツアーに行ってみるといい。不安定なスティック一本でも、どうにかして座ろうとしているギャラリーがいる。
「疲れないシャープペン・鉛筆」も、単にその授業についていけないからだろう。
疲れの真因は、意識が散漫だからだ。

「疲労」というのは、つくづく不思議に思う。
似たような年代と年収の、似たように生きている二人がいるとして、一方は飄々としているのに、一方は、妙なこだわりを追求していながら、周囲の疲労までも一挙に背負い込んでいる。
前者は、いつも笑っているのに、後者はいつも不機嫌そうで、さらに的外れな解決に奔走して、大ごとの何かにすがるのだ。

この世に、疲労なんてものは本当に存在するのだろうか。
疲労という名の油断に甘んじているだけではないか。
あえてそれを触感にたとえるなら、柔らかくもなく固くもない、表面がギトギトでブニュッとしたものだ。

僕が、求めるのものは違う。
柔軟でありながら、強固さもあり、弾力もある。
そして、ボンタン飴のようにサラッとした肌触りがいい。
四角形の塊が整然としている姿が美しく、それでいて、口の中で、適度にまとわりつくのだ。

今のキーボードは、そんな内蔵なのだろう。
ボタン一つでも、壊れないことが必須条件だ。
僅かな不快がすべてを台無しにするのだから。

 

P.S.
パチパチパチパチ、打鍵音だけが快調に鳴り響く部屋が、最高に心地いい。
自分に拍手をしてくれる唯一の利器かもしれない。

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