Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

やみくもな毎日。

2017/03/14 0:00

日曜の過ごし方は、千差万別である。
昼過ぎの忘れた頃に起きてくるお父さんもいれば、朝5時から起きて、平日と変わらないルーティンで何かをやっているお父さんもいる。

前もって、予定が入っていればいいのだが、漠然と迎えた日曜というのは、特に家族単位だと、過ごし方に困るものだ。
13時あたりまでは、「今日、何する~」なんてまだ一日の希望をもっているものの、15時過ぎたあたりから、「もう一日終わった~」なんて気分になる。日曜には、不思議な空白の二時間があるのだ。

さて、今の学校は、週休二日である。
この二日間をだらしなく過ごすと、その一週間は一秒で過ぎてしまう。これもまた、魔の空白ともいえる。

昔は、土曜日まで学校だったけど、休みが少ないからこそ、授業に集中できた。
担任の先生からはよく「見上げた度胸だ」と言われていたくらいだ。
授業中は、黒板を凝視し、猛烈なスピードでノートに書き写し、背筋を伸ばして、先生の話を必死に傾聴している児童の横で、うわの空だったのだ。正確には、半分起きて、半分寝ていたのだから、極めて高度な授業態度だろう。

それでも、常に鉛筆は、片時も離さなかった。
ノートに何かを書くときはもちろん、書かないときでも、鼻か耳の穴に差し込んでいたのだ。
どうしても、難解な授業のときだけ、ノートに落書きしていたら、ノートのほとんどが落書きになったくらいだ。すると気が付けば、自分のサインを作っていた。

大人になって今でも、鉛筆は持ち歩いているが、残念なことに、サインが活きたことはない。
でも、暇さえあれば、紙に何か書いている。
喫茶店に行けば、紙ナフキンに自分のサインか、前に座っているおいちゃんの顔を書いているものだ。

このご時世、スマホ、ゲーム機、テレビなどの遊戯が豊富で、気を紛らわしているようで、頭はとても疲れている。

何かを書くという行為は、頭の休養だ。
自分にとって必要なことを無意識に体系化してくれるし、頭を空白にしてくれる。

ある人は、毎月きまってお手製の「日めくりカレンダー」を作るらしい。
日付の横に、予定や、季節の絵を入れたり、一種の遊び心であるが、右下に一つ一つその人の似顔絵もある。そうすることで、一日一日を大切にできると言うのだ。

確かに、目の前ある現実も、毎日、目の当たりにすることで関心がなくなってしまう。
一日一回は、自分と空を見上げてみたいものだ。

 

P.S.
「一日休養、一日教養。」
休養あっての教養である。

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