Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

演出は代々続く。

2017/03/09 0:00

ひと通り新聞が揃っている喫茶店がある。
何気ないことだけど、一紙本気で読み込もうと思ったら、丸一日かかるものだ。

ザッと目を通すだけでは、カサカサ音が響いて、まだ会話の騒がしさのほうがマシだったりする。どうせトップ記事と最後のテレビ番組欄だけしか見ないのだから、その部分だけ置いたほうが、静かになるだろう。あれは、お客さまを賢そうに見せるための演出用なのだ。

昔は、飛行機の機内サービスでも、乗客への新聞配布があった。
新聞が好きな人であれば、すでに持ち込んでいるはずだから、不要じゃないかと常々思っていたものだ。商社マンのように、かっこつけてCAから日経を受け取ったものの、新聞を毛布と間違えたのか、おやすみ5秒前の乗客がいたものだ。何を隠そう自分のことだ。

雑誌のほうが読み易いように感じるが、これだって相当気合いがいる。
美容室で施術中に読んでいる人もいるけど、あれは、スタッフと会話をしたくないお客さま用のためのものだろう。
各都道府県別の「Walker(ウォーカー)」雑誌も、表紙が華やかでつい軽い気持ちで手にとってしまうが、これも例外ではない。漫画も然り、やはり活字に慣れた上での面白さだ。

雑誌も新聞も、立派な書籍だということだ。
普段、読まない人にとってみては、取り扱いに困るだろう。

自分は毎日触れようと、家を出る時は、携帯電話よりも文庫本を忘れないようにと、ちゃんとバックにしのばせている。おかけで今では、ちゃんとバックそのものを忘れている。

策を講じるべく、バックから一切出さない文庫本と自家用車にも常備して二段構えだ。それでも準備したことを忘れ、バックもコンソールボックスも本でパンパンになった。

結局、本というものは、家に籠ってしか読めないのだ。
この事実に早く気付くべきだった。
むしろ、常備が必要な場所はトイレである。

ただやはり、活字には毎日触れておきたい。
本は、心の野菜である。
摂取する人と、そうでない人の差が歴然としている。

これはもちろん自分のためでもあるけど、やっぱり家族のためだろう。
本を読んでいる親をみて、子どもは本を読むのだ。
親が馬のように目を光らせれば、子どももニンジンが大好物になるだろう。

喫茶店で本や雑誌を読んでいる人にも、「横顔が素敵ですね」とだけ伝えてあげたらいい。
本は、どこまでも演出用なのだから。

 

P.S.
一歩外に出れば、街に溢れる広告看板に「突っ込みウォーカー」。

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