Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

基礎とは、丸くて瑠璃色。

2017/03/08 0:00

ドラえもん映画の時期だ。
毎年3月を楽しみにしている子どもたちがいる。
しかし、それも思春期を過ぎれば卒業となる。
あれだけ楽しんで観ていたのに、ある日を境にパタリと観なくなり、面白くないとまで言い出す始末だ。その節目はどこにあるのだろうか。

便利過ぎる道具に嫌気が差したのか、本当にそんな道具を出せるポケットが手に入ったのか、あの道具は、つまるところ演繹(えんえき)だから、自分の頭の中で作り上げたという達成感は満たしてくれない。それは、道具の利点だけに焦点を当てているからだろう。

たとえば、いい年をした兄弟がいるとする。
片方は新社会人(長兄)、一方はまだ大学生(末弟)、という立ち位置。
幼き頃の兄弟は、お互い会話の中で、演繹と帰納を繰り返してきた。
しかし、これがまったく噛み合わなくなる。

大学生のほうは、まだ自分の力でお金を稼ぐことを知らない。社会人のほうにはそれができている。単位やサークルのことで忙しいのか、いささか疲れたご様子だ。

社会人のほうも、同僚や仕事のことを話せばいいのだが、話しても分かってくれないと思っているのか、単に面倒くさいのか、自分の中から新しいネタを出そうとする気配がない。
葛藤とか危機感は、本人たちの間では結構根深いものなのかもしれない。

自分も大学生の頃は、社会人が羨ましかった。溌剌としたその様子の中に、いささか悲壮感も垣間見えたが、もうその若さで、そんなに稼いでいるのかという焦りみたいなものを感じていた。

しかし、社会人になったとき、これでもかというくらい学歴を把握されていたものだ。わざわざ面と向かって口にしないだけで、しっかりと陰で噂されている。
きっと、刑務所内で他の受刑者の罪名くらいに噂が早いのだろう。

いかなる職場でも学歴がものをいうのだ。
たとえ、学歴と関係のないドカチンの仕事であっても、長くそこにいれば、「あいつは大学出だから、そんな危ない業務は、あそこにいる中卒にやらせよう」となる。

 

大人になって今でも、ドラえもんの番組や映画を楽しみにしている人がいる。
前売りチケットまで買う勢いだ。どんな分野も、例外はいるものだ。
その人に、どうして楽しみなのかを訊いてみた。
すると、「え?ワンパターンだから深いやん」と答えた。

「基礎がしっかりしているからこそ、話題が無限大」という意味だろう。
ドア一つで、どんな世界へでも旅ができる。

まぁ、それは綺麗事としても、ドラえもんは、地球のように丸くて青いから愛されるのだ。
人間も、たぶんそんな形に憧れをもって日々勉強しているのだと思う。

くだんの兄弟、これに気付く日が来ることを願って止まない。

 

P.S.
丸みは、継続の証。

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