Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

最高楽譜。

2017/03/03 0:00

先日、九州一を誇る九大の受験があった。
ネット上でも、女子高生が試験前、インタビューに応えていた映像が流れていた。

「超~、緊張します!昨日、まじヤバくて眠れませんでした!」

間違えて、嵐のコンサート開始前を取材したのではないか。
まさか自分が取材されるとは思ってないから、普段の言葉がとっさに出てきたのだろう。
取材する側も、さすがに朝は遠慮してあげればいいものを、彼女は試験中ずっと、興奮と後悔の念にかられたかもしれない。
自分が父親なら、テレビ局に猛抗議しているところだ。そのかわり合格していれば、お礼の手紙を書くつもりだ。

自分もサラリーマン時代は、インタビューに応える機会が多かった。
そのときは、ちゃんとした言葉遣いで、「え~、あ~、やっぱ~、」を100回繰り返すほどの饒舌さと格調高き姿だったものだ。
取材は二週間前に知らされていたから、試行錯誤し、練習に練習を重ね、その結果、普段の言葉に行き着いたのだ。
おかけで興奮と後悔の念は、退職するまで続いたものだ。

当然のように使えわれている「テンパった」も、初めて聞いたときは、天然パーマを見破られたかと思ってドキッとしたものだ。
最近、本屋の女性スタッフでも「すみません、テンパっちゃって!」と言うから、本を読まない本屋さんか、その言葉が哲学用語に昇格したかのどちらかだ。

 

言葉遣いの病は、かかるのは一瞬だが、治癒には相当かかるものだ。インフルエンザでも一週間、骨折でも三カ月はかかるが、言葉は、百年かかるだろう。否、治らないかもしれない。

治癒の手段において、どうしたって書籍は欠かせない。
心の中で正しい日本語を唱えているときは、「え~、あ~、やっぱ~、」を言うことがない。つまり、かっこつけないからだろう。

それに黙読には、もの凄い力が込められている。
その著者と瓜二つになれるのだ。
真似しようとしていないのに、どうしたって話し方や、書いている文章も、瓜二つになってくる。

本来、「である調」の人が「ですます調」の本を読むと、所どころで「ですます」を散りばめたくなるほどの恐ろしさだ。逆も然り。
自分がインタビューされたときも、当日まで「え~、あ~、う~」と書かれた著者の本をむさぼり読み、尊敬してしまったからだ。

本のチョイスだけを間違わなければ、礼節と品格ある大人になれることだけは、確かなようだ。

 

P.S.
人間は手のひらを返すように、上品にも下品にもなれる。

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