Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

僕の左手は超合金。

2017/02/23 0:00

手袋と靴下は、必ず片方だけ紛失する。
まぁ、いつものことである。
靴下はまだいい。でも手袋だと両方兼用とはいかない。
毎年12月頃に買って、2月頃には姿を消し、決まって左手だけがなくなるのだ。子ども用みたいに紐を付けたいくらいだ。

まくらの下、布団の下、じゅうたんの下、家の中をあと探そうにもモノがほとんどないのに、よく無くせたものだ。
あと考えられるとしたら、照明の中か、郵便受けくらいだ。見たら、靴下だけ見つかった。
もしかしたら、両隣のOLさんの部屋か。いや先日、差し入れを持って遊びに行ったら、2件とも丁重に断られたはずだ。夢の中で。

じゃあ、歩いているときに落としたのか。
通行人に、「僕の左手知りませんか?」と訊きまわったら、不審者か、ブルーハーツのメンバーと思われるだろう。

いっそ、両方を無くしてしまったほうが潔いのに、右手だけはめて使っていると不思議と無くならないのだ。10年前に買ったラコステの右手袋は、しつこいくらいに生き残っている。

しかし、どうして左だけなのだろうか。
スマホを扱うときは、右だけ外していたはずだろう。マウスを触るときも、キャッチボールするときも、知らず知らずのうちに外しているのは右のはずだ。
いつまでもあると思うな親と左なのか。

そんなことを考えながら、ゴールドライタンに目をやると、こいつは両手が無くなっていた。
真実は両方にある、を思い出す。
ギッチョがいるから、右利きという言い方ができる。
左翼がいるから、右翼が存在できる。
片親の家庭がいるから、両親がいるという言い方でできるのだ。

嫌いな物から食べる人と好きな物から食べる人がいたとしても、前者は、口の中で、順番に最高を味わうことができるし、後者は、お皿の上に残っている料理の中で、順番に最高を味わうことができる。どちらも最高なのだ。
どちらかを失わないと、両方の良さが分からないのだろう。

たまには右手袋を左手にはめてみた。裏表逆だ。
でも、手袋がこんなにも温かいのかという気付きにも出会えた。

無くすことは、得ることなんだなぁ。
意気揚々、左手は寒風に晒し、右手は日替わりお洒落で外出している。

 

P.S.
大きい交差点の角地にあるコンビニやガソスタは、よく潰れる。

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