Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

明けない夜に考えてみた。

2017/02/18 0:00

朝起きる時間が、だんだん早くなってきた。
年を重ねるごとに、早起きになるという。
9時→8時→7時、いつかは学生の頃のように5時半になって、このままだと、3時に起きて街を徘徊するかもしれない。

サラリーマン時代は、4時に起きていた。
誰もいない早朝の社内、邪魔が入らず一人で仕事ができる。
朝礼ギリギリくる同僚もいたが、見事にボケた仕事をしてくれたものだ。
とはいえ、やることがあったから起きれたわけで、休みの日には昼まで寝ていたから、何の意味もない。

 

さて今や、バラバラの生活だ。ここが問題である。
似たような生活スタイルの友人は、何もない日でも大体朝5時には起きているらしい。
そんなに早く起きて何をするかといえば、テレビや本を愉しみ、もう習慣になっていると。

自分もやってみた。
5時に起きる。外は真っ暗だ。テレビを付けようにも、テレビを持っていないことに気が付いた。じゃあ、冷蔵庫の開けよう。そういえば、冷蔵庫を持っていないことにも気が付いた。
いつも夜、その日に食べる分しか買ってこない。
こんな朝早くからウロつくにも、着替えるのが面倒くさい。
そうだ。洗濯をしよう。そういえば、洗濯機も持っていないことに気が付いた。
いつもクリーニングだ。たぶんお店も閉まっている。
部屋にあるのは大きなゴミ箱くらいだ。入って遊ぼうかとも考えたが、きっと空しいだろう。
もうすることがなく、トイレに3回行って、一階の郵便受けまで3往復した。
これだと、徘徊と変わらないではないか。

やはり、これが毎日はキツイ。
ゴルフか、早朝ピンポンダッシュ以外で、理由なしに5時起きはムリがある。
もしかすると友人は、酉年か、早朝の儀式をする宗教家、あるいは17時起きと勘違いしているかだ。

そんな妄想をしていると、朝陽が差してきた。
ビル群の合間から差し込む光だ。なんて眩いのだろう。

そうなのだ。朝陽は、自分を客観的に映してくれる。
日が昇る瞬間の光が、まるで他人ごとのように自分を照らしてくれる。
「今日何をしようか」ではなく、「今日何をしなければいけないか」が分かってくるのだ。

これを逃してはいけないという意味なのだろう。
やることがない日こそ、早起きなのだ。

でないと人は、簡単に主観へと戻ってしまう。
二度寝とは、悪い意味ではない。早起きしたご褒美となる「昼寝」を指すのだ。
一日、二回寝れるのは、有難いことだった。

 

P.S.
何にもないから何でもある。

このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

スポンサー広告

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサー広告