Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

有頂天パスタ。

2017/02/11 0:00

この世は、期待と満足の渦中なのだろうか。

ある日、パスタが食べたいという衝動にかられ、評判がいいというお店に初めて行ってみた。
注文した後、もう少しメニューを眺めていたかったのだが、問答無用で回収される。
まぁ、いい。どうせ、クリームパスタしか食べないのだ。
しかも今回は、生パスタだ。そんじゃそこにある安物の麺とはワケが違う。

水で口を潤し、ふと隣のテーブルに目をやると、小6くらいの男の子が座っている。家族連れらしい。
このお店にどう考えても不釣り合いなガキである。
まぁ、いい。
自分も子どもの頃は、気品高きお店によく連れて行かれたものだ。あまりにも品行方正な子どもに映ったのか、お店のおばちゃんが「坊や、替玉する?」なんて話しかけてきたものだ。

フォークも綺麗に並べ、グラスの水も並々と、準備万端だ。
さぁ、運ばれてきた。
こんな至福なときがあろうか。

その瞬間、店員がパスタを手に持ったままクシャミしたのだ。
「なんということでしょう」と心でつぶやいてしまった。
さすがのプロでも、ブラックペッパーにやられたのだ。

さらには、遠くの席から、「マ・マー」と泣き叫ぶ幼子のBGMが流れ出した。
向きを元の位置に戻すと、さっきのガキが、パスタの上のいくらを手で食べている。
シックな店がもうファミレスと化したのだ。

 

このように、過度な期待をかけたときほど、凋落は激しいものである。

朝起きて一日への大きな期待をもっても、夜、そうでもない平凡な一日だったと思うことも、しばしばだ。

しかしよく考えると、平凡ほど難しいものはない。

旅行がそうだ。
宿に着いて、温泉に入って、料理を食べて、ウキウキの予定が、電車で乗り継ぐ際に、財布を落とし、他人事のような警察とバカ話を交わし、気を取り直して宿に着いても、温泉も料理も、女将も大したことがない。
仕方なく街を歩けば置き引きに遭い、また交番でバカ話する。

でも、それが楽しい。
つまり、満足とはその場で感じるものではなく、後から思い出せるかどうかだろう。
期待は膨らませるより、弓矢の弦ように、しならせたほうがいい。
その反動が、満足である。

せっかくの「生」身の体である。
人生を味わい尽くせと、パスタがそう叫んでいる。

 

P.S.
卒業式で、先生が黒板に「平凡」とだけ大きく書いた。
言葉の矢も、随分後から飛んでくる。

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