Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

玄人はだし。

2017/02/10 0:00

幼少の頃は、文字よりも言葉が先に入る。

たとえ読み書きが遅くても、聞いた言葉を頭で処理する能力が長けていて、それは人間の持つ、生まれながらにしての才能だろう。

とはいえ、耳だけでは、不可解な脱線を味わうこともある。

子ども時代、大人の「正直に言いなさい!」が、
「掃除機」に向かって、今言ったことをもう一度伝えるかと思ったものだ。

「お庭(鬼は)、外~」、
当たり前なのに、不思議だった。

「先生(宣誓)!」
運動会でも、そんなに先生が偉いのかと思ったものだ。

「書き(夏季)講習」、
書かない講習も、ぜひ受けてみたかった。

目に映るものだってそうだ。

「棟上げ」と称して、骨組みのてっぺんから、餅をばら撒く習慣がある。
子どもを押しのけて、我先に餅を拾う大人たちを目の当たりにしたことがある。
そこで初めて、飢えた大人は怖いと感じたものだ。

「豆撒祭」と称して、お代官様みたい格好で、上から撒く必要があるのだろうか。
下から投げつけ返してやりたいくらいだ。
豆鉄砲を食らった顔を、本当にお目にかかれるかもしれない。
本当にめでたいのなら、歩道橋の上から現金をばら撒けばいいのだ。

 

話が脱線したが、一番怖いのは、抱いた違和感を言葉にできないことである。
大人になるにつれ、こういった機会は減ってくる。
頭が良くなってくるというよりは、単にラクだからだ。

慣習とか常識なるものは、凝り固まった線路だ。
でも素足だったら、いつでも直角右折できる。

ちょっとこれはおかしい、と思ったことを、掃除機に発して変えていくことだと思う。
それも、人間の才能である。

 

P.S.
笑顔の絶えない大人の真顔が怖い。

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