Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

社会蓄積という旋律。

2017/02/06 0:00

学生として、一日中、学び舎で徳を得る者。
それはそれは、短いようで長い一日だろう。

しかし大人になって、その過ぎた一日を正確に思い出すことはできない。
コツコツと積み上げてきたものは、もう土台なる岩と化したのだ。

 

それでも、ふと頭をよぎるのが、学校の校歌である。
今でも口ずさむと、思わず目頭が熱くなる。
自分にもこんなセンチメンタルなところがあったのかという話ではない。

小学校の頃、校歌が七番まであったのだ。

ピカピカの一年生なのに、体育館に飾られた、あの容赦ない達筆で広げたお経の巻物で受けた洗礼を思い出したのだ。

運動会では、立ち上がるときに、「ヤ―!」と大声で張り上げるよう指導され、頑として言わなかったら、担任が「放課後ちょっと、あなたの家に行くから!」なんて言われたとき、「嫌―!」と返したら、思いっきりビンタされた。

しかし、最近の新入社員ときたら、どうだ。
会社説明会、マニュアルだの、新人を大事にする風潮で、ゆるゆるのお膳立てが揃ってある。
ご丁寧にランチ会まであるではないか。

昔のサラリーマンは、食堂でランチする時間もままならず、たまにとれても、資料と格闘しながらだった。
ご飯を水のように流し込む先輩の姿を見て、「食べますね~」と声を掛けると、「仕事が食べているんだ。」なんてドヤ顔だったのに、最後は会社に食べられ、水の如く島流しされた。まさに戦慄だ。

それはそれは、長いようで短い人生だろう。
でも人生は、歌詞である。
長短にかかわらず、どん底のときこそ、それを音源化できる。

悲しい歌詞も後になって、楽しく唄えるのだ。その逆もしかり。

ピクミンの『愛の歌』が、耳に心地いいのである。

 

P.S.
涙で風化され、さらに頑丈なものが見えてくる。

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