Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

悲しいピカソ。

2017/02/05 0:00

「欲が無いね」と「脳が無いね」、
では意味が、おおいた違う。いや、だいぶん違う。

「顔、小さいね」なんて言われると、そりゃ嬉しいけど、
「器、小さいね」は、ほとんどの男性が怒るだろう。
たった一字違いで、尊厳の有無にかかわってくる。

そもそも、「小さい」君に、罪は無いはずだ。
親が犯罪者になると、子どもまで犯罪者扱いされた気分である。

「小ズルい」とか「小賢しい」の言葉なんか、「小」が付くことで、かえって悪く聞こえる。

でも、親友である「大きい」君も意外に苦労しているのだ。
寛大、特大、偉大、大吉、一見立派で華々しいことばかりに思われる。

でも、トイレに行くときに、「え?大?小?」なんて聞かれると、とても「大」なんて言えない。そこで、「大は小を兼ねるんだ!」なんて弁解しても、恥の上塗りだろう。

 

漢字にも、みな何某かの一長一短を持っているものだ。
だのに人は、表面のイメージだけで、名前を欲する。

初めて子どもを授かる夫婦は、渾身の願い、情熱、有名な芸能人、元カノの名前、等々を込め、考えに考え尽くす。
あまりにも重々しく、キラキラに輝き放った名前は、読み方さえ分からず、苗字で呼ぼうにも「向島(むこうじま)」は憶え難いからと、あだ名で呼ばれ、それも面倒くさいから、とうとう「おい!」と呼ばれる。

ある学校の先生が言った。
「お友達の名前は、必ず『フルネーム』で『さん』付けしなさい。
下の名前まで呼ぶことで、両親を尊重することになるのです。」と。

もし、この先生のクラスに、「じゅげむ・・ちょうすけ」君がいたら、一向に朝の点呼が終わらなかっただろう。修学旅行だと、他のクラスが宿に着く時、まだパーキングエリアだ。

でも、なるほどと思った。
自分のサラリーマン時代も、フルネームで部下を呼ぶ上司がいた。
ハンコまで勝手に、部下全員のフルネーム印を特注していたくらいだ。
当時は不思議で、そのハンコの請求書が手許に来たときはもっと不思議だった。

でも、今では実感できる。
人生も名前も、繋がっているんだなぁ、と。

 

P.S.
『森山直太朗』は、いつもフルネーム。

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