Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

幻想のゲーム。

2017/01/26 0:00

ゲームソフトと攻略本がセットで売られていて、
子どもたちも、それを楽しそうに興じている。

昔、ファミコンのマリオで、段を降りてくるカメの甲羅をうまく蹴って、無限1UP(命)できる裏技があった。
しかしこれも、ファミ通という雑誌のウケウリである。
死なないジャックバウアーみたいになって、全然楽しくなかったことを思い出す。

ちょっとしたヒントが落ちていて、
試行錯誤しながら、キャラクターが強くなっていく流れが一番面白いのだろう。

 

SNSの友達リクエストで、成人ホヤホヤの人たちが、やたら一括千金を狙う姿が散見される。
無限のお金を握れば、きっと強くなれるに違いないと思っているのか。
そこに女性まで加担しているから、やや残念である。

ネットを駆使し、繋がりを持ちながら、ビジネスをゲームと化して裏技を模索していく。
しかし大抵は、長時間のゲームにハマった子どものように、のぺーとした表情をしているものだ。

では、書籍などで知見を広げるといった下積みが大事なのかといえば、そうではない。

インプットした後にアウトプットしたくなる、なんていうけど、実際はどうだろ。
インプットしている人は、死ぬまでインプットしているし、アウトプットしている人は、ずっとアウトプットしているではないか。
知識に関係なく、思考はいくらでも鍛えられるからだ。

 

最近、思ったのだが、
出会った人の名前の漢字に、ヒントがあると思う。

役所の窓口の人でも、配達ドライバーでも誰でもいい。
例えば、「森」であれば、過去、森に関連することはなかっただろうか。

目の前に突如現れたもの、つまり自分の意思が及ばないところに、繋がりがあるのだと思う。

そんな、自分だけが作ったシナリオのゲームが出来上がるまで考え続ける人は、通な生き方だ。

 

P.S.
「思考」と「継続」のセットを、信用ゲームという。

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