Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

公平な「ほぼ」。

2017/01/13 0:00

Amazonで買い物をしていると、中古品しかないときがある。
いろんな会社が売り出していて、商品の状態もバラバラだ。

「可」なんてあるけど、
かろうじて使えるよ、の意味なのだろうか。

一番難解なのが、「ほぼ新品」である。
そのワンランク下が、「非常に良い」だ。

しかし、気にしない人もいるけど、
「非常に」と「ほぼ」だったら、僕の中では「非常に」が最上級だ。

 

「ほぼ」は、どこか覆されるイメージがある。
久利生検事の「ほぼ、だろ」なんてセリフがあったように、今見えている事実が人為的で虚構なときに使う。

殺し屋なんかは、片目だけ開けて寝ているから、
あれは「ほぼ起きている」のか、「ほぼ寝ている」のか分からない状態で曖昧だ。

その点、「非常に」は、もの凄く秀でている、もしくは新品をも凌駕する勢い、という意味になる。

つまり、手入れされているか否か、ということになってくるだろう。
ほぼ新品は、放置され埃かぶっているのかもしれないのだ。

 

依頼した仕事の進捗を訊ねて、「ほぼ終わっています」といった返答なんかも、「ほぼ、ってなんだ」と突っ込みたくなるし、「ほぼ満開」みたいに妙な期待を持たされている感じになる。

しかし人は、不思議なもので、
不調なときほど意外に成果を出すときが多々あって、
ベストコンディションという存在が、そもそも空虚にも思えてくる。

悲しい、辛い、寂しい、といった感情が、自分を手入れする最高の術だったりするのだ。

そして、そんな状態の人が、同じような人を励ますことが、「非常に優れた」関係とも言える。

 

P.S.
日本がこのまま「ほぼ平和」であってほしい。

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