Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

イエスさまの体当たり。

2017/01/11 0:00

「嫌なことは、はっきりノーと言うべき」なんて言う。
でも幼子は、だいたい「イヤ!」「イヤ!」のオンパレードだ。
それは、自分の身を守るためだからだろう。

大人になっても、「イエス」と言える人のほうが圧倒的に少ないと思う。
そのほうが賢さを顕示できると思っているのか、10のうち9は反対で、残り1は「う~ん」なんて躱(かわ)したりする。

 

たとえば、
運転中に何気もなく踏んでいるブレーキを、「ノー」としたら、
アクセルは「イエス」になる。

渋滞中のように、みんなで討論している会議では、
「イエス」だけ猛烈に吹かすと、何も考えていない暴走車にも見える。

で、これが高速道路になると、今度は一切ブレーキを踏んではいけない。

車間距離が足りないからといって、ポンポン、ブレーキを踏む車が、今度は何も考えていない輩に映る。

道路も、社会の組織に扮したものであり、流れに従わない者は排除されるということだろう。一見は。

 

さて、自動車学校の教習時代、かなり変わった教官が一人いた。

実地練習で、こちらが直進中、急に右折する一般車両がいたら、
「ぶつかれー!」と、助手席で叫んでいた。
危ない車を避けることで、かえって周囲に迷惑がかかると言うのだ。

まず初心者は、「イエス」で体当たれ、という意味だろう。

鶏の世界では、力の一番強いものが、朝一番に泣く権利がある。
ペーペーの分際で、最初に泣こうものなら、ボスに突っつかれて殺されてしまう。

でも、勝てば明日からは、自分がボスに昇格する。

「イエス」と「ノー」、どちらも口で言い続けている限り、何も変わらないということだ。

 

P.S.
成人式で呑気にはしゃぐ者もいれば、未成年で社会と格闘する者もいる。

このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

スポンサー広告

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサー広告