Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

心の優先区画。

2017/01/07 0:00

混雑する場所におけるベビーカーのことで、是非が問われている。

「あの人には、落ち度が無い」なんて、
いかにも納得を誘う響きではあるけど、そもそも地球上に落ち度なるものが存在するのだろうか。

 

物事をジャッジするのは裁判官の専売特許である。
そして全ての判決文は、上からではなく、下から照らされているのだ。

人の手で「蝶」を模倣しているのに、判決でも当然、それは蝶になる。
影絵のイメージだろう。
でもそれが正しい。推定されるからだ。

しかし、同じお天道様の下で暮らしている者同士は、色はもちろん、相手の表情から気持ちまで、全て見える。つまり、断定できる。

 

たとえば、
家族でおせち料理を囲むとき、テーブルのどこに置くだろうか。
中央か、それとも子ども寄りだろうか。

しかし、ここで大事なのは、
奥さまがまず旦那さまが取り易い位置に置いて重箱の正面を向ける、そういった気配りを感じた旦那さまが、そっと妻や子どもたちが取り易い位置にズラす。

家族の温もりが伝わってくる。
その温もりが天に昇るから、お天道様も負けじと温めてくれるわけだ。

つまり、高さではなく、距離が大切になってくる。

ショッピングモールの駐車場なんかは、身体障害者用の優先区画だけ突出して出入口に近い。
同じ「カー」でも、ここの是非は問われないのだろうか。

俯瞰とは上から見下ろすとことではない。
下から昇華させる言葉ではないだろうか。

みな、人「間」だから。

 

P.S.
本当に優先されるべき人は、最後尾にいる。

このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

スポンサー広告

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

スポンサー広告