Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

恨みは極小から派生する。

2016/12/29 0:00

冷蔵庫にあったじぶんケーキが、誰かに食べられていたら、
ガックリくる。

「食べ物の恨みは怖い」なんて言葉あるくらいで、
後で食べようと、冷蔵庫にしまっていたものが忽然と消えたら、
また買えばいいじゃない、なんてそんな単純な問題ではない。

甘いものが嫌いでも、生菓子は食べるという人もいて、
勝手に他人の好き嫌いを判断して、数に入れないときなんかも、一応、「食べます?」とお声掛けしないと、後に修羅場と化する。

飲食店で、途中の皿を下げられたときなんか、憤慨の極みである。

 

これは、食べ物が豊かな時代になればなるほど、根強くなっていくと思うのだ。

大は小を兼ねる、みたいな言葉があるけど、
感情に、大きい小さいがあるのだろうか。

モノも豊かになって、断捨離が流行ったことなんかもそうだが、
豊さを「大」と表現するなら、恨みは、さらに「小」へとシフトしていく。

たとえば、
大手企業の不祥事が明るみに出て、陰謀説まで囁かれ、
SNSという小の発信から、大がコテンパにやられている昨今だ。
それは多くの人が、集団や群れに対する弊害を感じているからではないだろうか。

今は、パソコン一台で稼ぐ人がいて、
いわゆる個人事業主が活況を呈してきた。

中には、憧れで法人化する人もいるが、
節税というエサに踊らされていることが分かってくる。
会社は、ニキビよりも簡単に潰れるのだ。

これからは、小が大を兼ねる、
そんな時代になるではないか。

恨みは時代を兼ねている。

 

P.S.
パセリとエビフライのしっぽは、れっきとした食べ物です。

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