Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

茶柱と顔が立つとき。

2016/12/20 0:00

「あっ、お茶がないね。」
食事中それ以外でも、お茶によく気を遣ってくれる人がいる。

ノー水分で違和感なく、食事ができる人もいて、
やかんのお茶がドーンと置かれてある体育会系のような家庭も、
なぜか、珈琲の類にこだわりがあるから不思議である。

 

珈琲には、どこかかっこよさがあり、
モカとブレンドの違いを知らないが、豆の種類も豊富である。

淹れる側もこだわりが良いとされ、
飲む側もそれに必死で応えようとするから、
「毎日、ブラック3杯飲んでる」なんて、見栄が立つのだ。

しかし珈琲は、そもそも対談用である。
テーブル上の体裁を整えるため、しょうがなく注文しているようなものだ。

家で飲むときも、
余程することがないか、現実逃避のときくらいである。

 

その点、日本茶は地味だ。
めちゃくちゃ美味しい、なんて思ったことはないけど、けして嫌いでもない。

このどちらでもないニュートラルな感情が、実は大事なのではなかろうか。

仕事でも、
「恰好、人気、好み」が始めから備わっているよりも、
「地味、地味、どちらでもない」のほうが、戦術に振り幅ができる。

だから、毎日継続することができると思うのだ。
純粋な積み重ねがあるから、顔が立つのだろう。

夕食後に「はーい。お茶が入ったよ~」なんて光景を見るたび、
洗い物がまた増えるのに、手間を惜しまない人は凄いなぁと思うのだ。

家族もその優しさにホッとする。
生き方に、こだわりのある家庭である。

 

P.S.
「おっ、茶柱」と思ったら、シナモンだった。

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