Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

寂しさは、神さまがおつくりになったもの。

2016/12/13 0:00

太宰府天満宮では、梅ヶ枝餅なるものが有名で、
結構な専門店が、参道でひしめき合っている。

行列に並んで、混雑のなか食べる人もいれば、
ラップに包まれた、ふにゃふにゃになったものをお持ち帰りする人もいる。
それを家で食べたところで、味は半減すると思うのだが。

 

さて、もっと地方に行くと、混同する名の餅が売られていて、
そこの参道の閑散さといったら、土日でさえ、もう目も当てられないレベルである。

高齢の男性が、たったひとりで切り盛りしていて、
一日3千円の売り上げになればいいようなお店だ。

でも、ちゃんとお茶は用意されているし、
なにより、あの静けさがいい。

薄い窓ガラス越しから、裏の古民家が見え、
座敷には誰もいない、あのひっそり感がいいのだ。
そこで食べるパリパリの皮とホクホクの餡子(あんこ)は、格別である。

しかし、繁盛していないということは、
その雰囲気を理解できる人が少ないのかもしれない。

 

商売は、華やかな場所で華やかに売るものだ、と勘違いしがちだ。

それよりもお客さまは、寂しさといった、
裏の舞台にお金を出しているのだ。

食器の引き忘れとか、
店内の壁に薄っすらと、埃が浮き出ている状態とか。

お客さまの笑顔だけを見たいというのは、
華やかな舞台だけを夢見る新入社員の感覚に近い。

準備中の長いお店のほうが繁盛しているように、
雑用の不定休がいいパリパリ感となって、甘さがしみわたるのだろう。

 

P.S.
不動産業界の「あんこ」だけは、食べたくない。

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