Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

人と時間は、eco(エコ)に限る。

2016/12/06 0:00

数年前、「別れさせ屋」なるものを、よく耳にした。
今もあるのか知らないが、
反対に、「出会い屋」なるものはあるのだろうか。

直接、相手に伝えたほうが早いだろう、なんて思うのだが、
誰もが、成長とともに回りくどくなる生き物である。

本音で話せる人が、この手の業者を頼る羽目になるのは、
普段から、周囲の人に何を差し出しているかが、要になると思うのだ。

 

学生のころは、何をするにも友達同士で、
あーでもない、こーでもないが言い合えた。

東に勉強のわからない子あれば、行って一緒にウンウン唸り、
西にひもじい子あれば、行って一緒にお腹をぐーぐーいわす。
南に寂しい子あれば、「俺明日ズル休みしようかな」と言い、
北に強がった子あれば、「俺明日ボンタン穿こうかな」が言えた。

役に立つかはさておき、
意味も分からず、物真似の姿を差し出していたのだ。

 

それが大人になると、
損得や見栄をむき出しにしてしまうのである。

それが悪いということではなく、
むしろ、仕方ないことだと思う。

時間の差し出し方が分からないからだ。

 

待合時間より15分早く着いて、些細な約束を守ることも、
直球過ぎる物言いで、サラッと本音を伝えることも、
相手に時間をプレゼントしていると、気づかなくなるのである。

まずは時間のお膳立てである。

時間を与えてこそ、お金と対人関係の束縛から解き放たれるのである。
そこがまだ、「あやふ屋」な大人のままなのだ。

 

P.S.
気持ち悪い平等より、思いっきりの依怙贔屓(えこひいき)。

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