Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

人も木も、別れに意味がある。

2016/11/20 0:00

昨日まであった、大通りの街路樹が、
突然、根元で伐られ殺風景になっていた。

よくTVアニメにある、
効果音「ポンポンポン」と、残像が交互に映し出される状態である。

スッキリし過ぎで、いささか寂しいし、
木に興味はないけど、結構な大木をなぜ伐採したのか、
理由の立て看板をしてくれると有難い。

 

さて、小説のように途中から読むと分からない本と、
エッセイなど、どこから読んでも区切りのいい本がある。

前者は、心の機微や、感情の起伏が、
長いスパンで楽しめる。

後者は、ギュッと詰まったものが連続していて、
時間が勿体ない人にとってみれば、好まれるだろう。

育つ木生のプロセスを終始するか、
パーツの枝葉をパズルのように合体させていくか、
完成を見届けるパターンの違いがあるだけ、どちらも楽しい。

 

ただ、
どちらも根っこは一緒だ。

そしてある日、
バッサリ根元で伐られるとしよう。

要は、忘れるということだ。

切り株から、再生する力がなければ、
育てた大木は根っこから腐っていたということであり、
また種まきからの繰り返しになる。

読み進めていくうえで、力んで頭に詰め込むより、
フワッとした空洞のイメージで捉えたほうがよく理解できていたりする。

そういえば、きのう食べたデカいイチゴも、中身が空洞だった。

 

どうも、植物も見栄をはるらしい。

 

でもそれは、余韻であり、
「何にも囚われない」芯のある柔軟さだったのだ。

 

P.S.
「さらば、キー坊。」

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