Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

覆らない感性。

2016/11/18 0:00

小学生が、街ですれ違う他校の小学生を見て、
「あの人は、〇〇小学校の子やね。」と分析するときがある。

根拠を質すと、
「だって、その小学校の顔をしているから」だそうだが、
友達でもないのに、よく断言できるなと感心する。

しかしこれは、大人の職場でも似た場面があるわけで、
ひと目で「あの人は、〇〇課の人だな。」とか、
顔つきで判別できてしまうときがある。

確かに、だいたいは当たっている。

 

とはいえ、SNS上で、
日本全国に住む人たちの私生活投稿を拝見できる昨今、
顔だけで、どこの都道府県の人かを言い当てることはまず不可能だ。

どこが違うのだろうか。

 

遠くにいる人より、かなり身近にいる人のことを噂するのが、
大好きだからではなかろうか。

お隣のあの人たちはこうこうで危険あり、
じぶんたちはこうだから安全だ、
みたいな先入観を、まず群れ内で会議する習性があるのだと思う。

その群れとは、国境、県境、校区、町内、班までに細分できる。

 

むしろ、先入観がないと、
ご近所さんをまともに直視できない。

 

当たっていれば、狂喜し、
裏切られても、覆ることはない。

それでも、
身を守って生きていく上で、大切な感性だ。

それだけ、人間は弱い生き物だということであり、
なにかにすがって生きていくしかないようだ。

禁物になんて、できるわけがない。

 

P.S.
「ことわざ」もいつか裏切られるためにある。

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