Hira2’s.diary

そらはいつだって淡々としている――。

吾輩は紙である。名前はすでにある。

2016/11/06 0:00

子どもが、
ふと、じぶんの名前の由来を気にかけるときがある。

苗字とのバランス、画数、
なんとなく好きな字で決めていることが多く、
親も、突然のスポットライトには、あたふたするのだ。

 

子どもにとって、親や先生に対する態度同様、
じぶんの名前にも、プチ反抗期なるものが存在する。

「愛」の字のつく女性が、
どこか男っぽかったり、
「美」の字のつく男性が、
意外に強面(こわおもて)になる。

そして、世に出る人ほど、
単純な名前だったりもする。

本人が気に入っていようがいまいが、
やっぱり、名前はあてがわれたものという意識がどこかにあるのだろう。

 

名前は、
白紙の画用紙だ。

 

高級な紙質だと、
絵を描くまえから、プレッシャーに感じるものだ。

それでも、40年、50年経つにつれ、
じわじわと、じぶんの絵が浮かび上がってくるイメージでいい。

人に由来を尋ねられたら、
「みかん(未完)の絵です。」でじゅうぶん。

 

P.S.
「親不孝通り」を「親富孝通り」に変えたら、
かえって売上げが落ちる。

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